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人生雑感
2013年1月30日(水)21:37

知識の豊かさだけでは、人は幸せにはなれない

日本親業協会親業インストラクター 福里 盛雄


1 知識が豊かになると、人は傲慢になる傾向がある

 人が生きて生活していくためには、さまざまな知識を必要とします。しかも、情報社会、機械文明の現代社会においては、知識は生きていくための大きな武器である。そのために、どんな仕事に就くにも、その仕事に関する知識が要求されます。その知識の有無をテストし、そのテストに合格した者だけがその仕事に就くことになります。その人の精神的要素は、優先的には評価されていないように考えられます。知識のみを重視していくと、その知識を悪用して、好ましくないことをする危険性があるのではないでしょうか。そのために、知識の悪用をコントロールする精神面の豊かさが望まれることとなる。学歴重視、知識重視の今の社会では、高い地位についている人たちの知識を悪用した行為が多すぎる。その原因は、その地位につくための知識中心の評価にあるのではないだろうか。確かにその仕事に就くためには、その仕事に関する知識は必要ですが、その知識の土台である精神的豊かさも要求されなければなりません。土台が弱ければ、その上に築かれる知識も不安定な状態となります。健全な知識は、健全な精神的土台の上に深く根を張り出します。このことは、決して過言ではないと考えます。


2 現代の社会の知識中心の弊害

 知識重視の評価のみによって、一定の仕事に就く者が決められると、いろいろな弊害が発生する可能性が生じてくる。例えば、ある県警の警部補が殺人容疑で同僚に逮捕されたり、文部科学省の調査結果によると、精神的悩みが原因で、5200人の教員が休職している事実、努力してやっと上司の地位に昇進したにもかかわらず、職務問題で対応する精神的能力が欠けているために降格を希望する教員も多数存在しているという事実。これらの例は、知識中心に評価されたことの弊害だと考えますが、どうでしょうか。その人の品格、人間性をもっと高く評価すれば、最適な人材が選び出されるのではないかと考えます。

 人は知識が豊かになればなるほど傲慢になり、自己中心になり、周囲の言葉に聞く耳を持たず、すべて自分の考えが唯一正しいと確信をするようになるのです。そして他の者は私の言うことに従うべきだと、知らず知らずのうちに自分を全知万能の神の地位に置き換えてしまいます。

 人は、どれほど知識を蓄えても、その知識は未だ知らないことの多さと比較すると、海の砂浜の砂の一粒にしか過ぎないのです。

 私たち人間は、知識が豊かになればなるほど、へりくだり謙遜にならなければなりません。私たちは、自分の心の貧しさを悟る精神的鍛錬をしなければなりません。心の貧しい者とは、へりくだって、常に謙遜な心の状態を意味します。

 知識が豊かになると、ややもすれば、傲慢で自己中心的人間となり、賢く生きることに失敗し、身を滅ぼします。知識の豊かさによって人生を狂わせた人物は、歴史上に多く存在しています。苦労し努力して蓄えた知識を、自分の心の傲慢の武器としてではなく、その知識を正しく活用し、自分を幸せにし、自分と同じように他人をも幸せにすることを誇りとしなければなりません。それが知恵ある人の生き方である。現代は新しい知識が次々と創設されている時代だからこそ、知識を正しく社会の人々の幸せのために活用する知恵が要求されます。私たちは、知識偏重の生き方から、知恵ある生き方に方向を転換しなければなりません。そうすることが、お互いの未来に幸せの大きな虹を見せる証となります。

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