行雲流水
2013年5月20日(月)23:10
「2羽の鳥」(行雲流水)
アメリカで出版された2冊の寓話がある。一つは世界で超ベストセラーになった『かもめのジョナサン』で、もう一つは『リトルターン』である
▼ほとんどのかもめは、飛ぶという行為をしごく簡単に考えていて、それ以上のことを学ぼうとは思わない。食べるために飛べれば十分である。ところが、ジョナサンにとって重要なのは、飛ぶことそれ自体であった。彼は困難と冒険をのりこえて、極限までスピードを増し、曲技飛行を覚え、ついに、偉大な師によって、選ばれたものの1羽に列せられる
▼『リトルターン』(小さなアジサシ)の、主人公のターンは、普通に飛べて不自由なく暮らしていたのに、なぜか、ある日突然、高く飛ぶどころか全く飛べなくなってしまう。彼は途方にくれ、生きる意味を考える。彼が出会い語り合ったのは、偉大な師ではなく、夜の星やゴーストクラブ(幽霊蟹)であった
▼両書の翻訳を手がけた五木寛之は書く。「世紀は高く飛ぼうとした時代だった。今は逆に飛べなくなって呆然としている鳥たちの時代である」
▼努力すれば報われる「アメリカンドリーム」は大多数の人々には無縁なものになった。罪のない市民をどん底にたたき込んだボストンマラソン時の卑劣なテロが、国内で育った若者によるものであったことに米国民はショックを受けている
▼若者たちは差別や格差で希望を失って屈折してしまったターンではないか。米国だけではない、今、世界中で飛べなくなった鳥たちが増え続けている。(空)