史跡名勝天然記念物 大川を追加指定
史跡大和井の範囲拡大/文化審答申「牛馬用の井戸は希少」
国の文化審議会(宮田亮平会長)は21日に開催された同審議会文化財分科会で宮古島市平良字西仲宗根の史跡「大和井」の大川部分を追加指定することを決定し、文部科学大臣に答申した。今後、官報告示後に正式に指定される。史跡「大和井」はすでに1992年に国の史跡に指定されており、今回の指定は同史跡の範囲を拡大する形の追加指定で、「大川」部分の指定が決定した。数多く存在する井泉の中で牛馬専用を目的とした石造井泉の「大川」は極めてまれとしている。
追加指定の答申を受けて下地敏彦市長は「この場所は以前は土砂で埋まっていたがそれを復元したところかなり原型が残っていた。史跡としても第一級であり、県内でもこのような史跡はなかなかないということなので価値があると思っている」と述べた。
また、下地市長は今後の「大川」の活用について市民、観光客が気軽に訪れ、見学しやすいように整備していく方針も示した。
「大川」の掘削年代は明らかではないが、宮古島の歴史書「雍正旧記」(1727年)に記されている内容からすると1717年に補修工事が行われていることから18世紀当初にはすでに存在していたことがうかがえる。
数多く存在する井泉の中で牛馬専用を目的としたものは極めてまれで戦後、水道の普及や牛馬飼育の激減により利用者がいなくなり、いつしか土砂に埋もれた。
それを2004年に発掘し、同年10月に約50年ぶりに全体の姿を現したところ、遺構の残存状況も良好だったことから、市教育委員会では昨年11月に文化庁に追加指定の申請をしていた。
「大川」は、標高1・6~2・5㍍の窪んだ地形に石積みの天端から沼地の底までの深さが2・8㍍。東西11・4㍍、南北12・0㍍の範囲に穴を掘った楕円形状の井泉。また、その周りには大小の切石を1・1~2・1㍍の高さで石を積み上げている。
井泉の底には石畳は敷かれておらず、沼地の状態で井泉の北東側に琉球石灰岩の岩盤を利用し4個の切石で区画を造り小規模の井泉を形成している。
史跡としての価値や宮古島の人々の暮らしと石工技術の見事さの観点からも石造遺跡として類例のないものとしている。
04年の発掘後、市教育委員会が管理し、清掃委託先のみやこ学園が年6回清掃を行っている。
すでに史跡指定されている「大和井」は、大小の切石を6㍍ほど円形に積み上げた庭に設けた洞井で、首里王府派遣の役人等が利用したとも言われ、南島の人々の暮らしと石造技術の見事さを示すものとして貴重な史跡となっている。
今回の追加指定を受けて市教委では「より適切な保存・活用を図っていきたい」としている。