人類は、自由獲得のために戦い、獲得した自由の悪用によって
人類は、自由獲得のために戦い、獲得した自由の悪用によって滅亡の危機に直面している
沖縄国際大学名誉教授 福里盛雄
1 人類の歴史は自由獲得の戦いであった。
自由は、人間にとって生きるために本質的に大切なものである。繁栄した現代の文化もこの自由の賜物であり、世界の多くの人々は、自由の恩恵の中に生活していると言えます。
奴隷制度は否定され、男女の差別は否定され、原則として人は誰でも、等しく自由で平等に生きることが、今日の多くの文明国では保障されています。現在のわが国日本では、国民の基本的自由は、憲法で保障されています。その意味では、日本の国は、他の国と比較しても、もっとも自由な文化国家と言えます。
その結果、原則として個人は、それぞれの価値観に基づいて生活することが可能となった。そのために、人の社会生活にもいろいろな生活様式が展開されています。例えば、男性でありながら、女装したり、女性が男装したりするのは、社会生活において、それほど違和感を持たないのです。わが国をはじめ、多くの近代国家の人々は、自分の判断に基づいてどんな生き方をしても良いという自由を得ました。
2 今日の私たちは、獲得した自由の乱用によって、従来の価値観を混乱させています。
確かに人間は人間らしく生きていくために、諸々の拘束・差別・不平等から解放されました。自由は人間の基本的欲求の一つとされています。自由獲得の闘争の歴史は、命を賭けての戦いの足跡であったことは、歴史が証明しています。ある偉人は「われに自由を与えよ。しからずんば、死を」と叫んだと言われています。私たちは、このような先輩たちの自由獲得の大きな犠牲によって自由を獲得したのです。このように、獲得した自由を私たちは、大事に使用する責任を負わされていることを明確に認識しなければなりません。
ところが、私たち人間は、自由の名のもとに、自分勝手な考えや行為をして、自分を不幸にし、社会秩序を乱しています。人類の自由獲得のための努力は、自分も幸せに生き、社会の発展のために貢献する目的のためであったと考えます。いろいろな拘束や差別制度の下では、人はその持っている能力を十分に発揮できないし、個人の能力が十分に発揮できない社会では、発展は期待できないからである。いろいろな拘束からの解放の自由を獲得し、獲得した自由を効果的に用いる使命とを兼ね備えなければ、人間の自分勝手な欲望達成のための自由になってしまいます。
真の自由とは、自分と社会のために有益となる使命に基づいたものです。単に自分の誤った欲望実現のための自由は、本当の自由とは言えません。
今日の社会では、結婚生活においても、自由、自由というかけ声に刺激されて、男同士・女同士の同性婚も数多く見られるようになった。多くの男女が、同性婚をしたならば、人類は滅亡の危機に直面するに違いない。また、自由を拘束されないようにと、法律上手続きも無視した事実上の共同生活を営んでいる男女も多くなった。本当の結婚とは、例外の国はあるが、一人の男と一人の女がその社会に容認された一生涯の結合共同生活をいう。この考えが、文明国の従来の常識的考え方である。
ところが、人類は獲得した自由を、各人の欲望の実現のために悪用し、多くの社会問題を発生させています。本当の自由は、私たちの創造主の意思に基づいて、正しく行使しなければ、本当の自由の行使とは言えない。そのことが、人類に自由を与えた創造者の真理である。創造者の定めた真理と一致したときに、本当の自由は存在します。