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ペン遊・ペン楽
2013年11月14日(木)9:00

選択と判断/柳ヶ瀬 清美

2013.11.14 ペン遊ペン楽

 私たちは常に選択して生きているとアメリカの全盲の大学教授がテレビで言っていた。
 どうしようと迷ったときに選択し判断する場面は日常いくつもあり、朝起きた瞬間から私たちの選択は始まっていると。確かに常に選択がある。「選択の科学」と表現していたが難しいことはさておき、ごく普通の生活の場での選択と判断ほど迷うものはない。今、この文章を書くときも、あんな書き方こんな書き方、あの言葉かこの言葉かと選択しどうしだ。


 夏の出来事だった。子供たち数人を連れて川遊びに出かけた。天気は当然晴れていた。まさか後で豪雨と雷にやられるとは思いもせず遊びに夢中になっていた。ポツポツと降り出した雨と真っ黒な雨雲に危ないと思い、すぐに川から上がるよう大声を出した。全員が上がったその直後身体に突き刺さるような豪雨になった。急いで橋の下に雨宿りさせたが、雷のすごさや空の真っ黒さからここにいたほうがよいのか、あるいはカッパを着せて帰るべきか判断しかねた。横では女児が怖いと泣き叫んでいる。川の水も嵩を増やしている。ここにいては危険だと判断し場所移動を決行し、無事に帰路についた。

 幸いこのときの判断は何事もなかったので正しかったと言えるのだが、橋の下から歩きだしたときに雷でも落ちていたらとか、川が氾濫してたらとかを思うとぞっとする。判断の難しさをつくづく感じた。今年のいくつかの台風でも各地で多くの被害が出た。そのとき多くの自治体や住民が、避難させるのか、するのか、どうするのかの判断で決定できずにいる状況が分かるような気がする。下すのは簡単ではない。

 あるいはこんな選択と判断は楽しいものだ。
 近頃、小学生相手に将棋をたしなむことが増えた。学校から帰ってきてランドセルをロッカーに放り込むと、将棋盤を持って対局相手をつかまえてはうーんと考える姿はちびっこ将棋士そのものだ。どの子も将棋教室に通っているわけでもなく、対局のルールもまだ分からず、学習将棋で覚えた遊び感覚の将棋ではあるが、めきめき力をつけている。私はたしなむ程度なのでとことん弱いのだが、子供たちからしてみればいかにも強そうな駒の動かし方らしく毎回負けていても、「将棋しよう」と誘ってくる。こうなってくると少しは強くなりたいと思うようになってきた。

 強くなるには負けの原因を探さなければならない。分かっている。判断の甘さだ。勝つためには自分は何をどうすればいいのか、いい方向へ持っていくにはどうすればいいのか、相手は何を考えているのか、じっくり考えて判断しこれだと決定しなければいけないのに誤った選択が多く、次の手が小学生の相手にスケスケである。強い子は全体をよく見てじっくり考えたりひらめいたりして駒を選択し判断をしている。待ったをかけたときの情けなさ、なんであそこを動かしたのだろうとその選択と判断に後悔しきりである。

 またこんな選択と判断には驚かされることもある。

 庭をどくだみが占領している。抜いても後から後から生えてくるので鼻息を荒くしている。何かいい手立てはないか? あった。熱湯をかけるという選択だ。早速沸騰直後の湯をどくだみにかけた。するとその直後、土の中から何かがとび跳ねた。そして踊った。びっくりして私にしては珍しい悲鳴が出た。それくらいびっくりした。ミミズだった。相当熱かったのか小さな悲鳴が聞こえたくらいだ。嘘だけど聞こえてもおかしくないだろう。

 ごめんと謝ったが、もしかしたらまたかかるかもしれないからどくだみの下で眠らないようにしてと忠告した。もちろん選択はミミズの自由だ。そのことを子供たちに話したら避難の嵐だった。話さない選択もあったはずなのに私ったら。

 そして親しき友にその選択は間違っていなかったと伝えたいことがある。
 優しくてあなたのことをいつも一番に考えてくれているご主人を選んだこと。あなたは最高の選択をした。

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