グスク時代初期の建物跡発見/ミヌズマ遺跡
骨のそろった人骨も出土
平良松原の圃場整備工事に伴い発掘調査中のミヌズマ遺跡から、グスク時代初期(11~12世紀)の遺構とみられる建物跡が出土した。柱穴跡から出た中国産の焼き物などが同年代を裏付けた。全身の骨格がほぼそろった人骨も発見された。現場説明をした市教育委員会生涯学習課の久貝弥嗣さんは「宮古の建物の変遷や当時の人の骨格形態を知る上で、貴重な資料になる」と話した。
建物遺構は柱穴跡が三つずつ両方に並ぶ長方形の建物跡で、面積は約8平方㍍(2・2×3・6㍍)と小さい。六つの柱穴跡のうち二つから中国産の「玉縁碗」と徳之島産の「カムイヤキ」、長崎で取れる石を使った「滑石混入土器」が出てきた。いずれも11~12世紀の遺物とされる。
同遺跡では昨年、出土した木片の炭素年代測定から10~11世紀のものと推定される建物跡が見つかった。久貝さんは「今回の建物跡も同じ年代の可能性がある」と話した。
人骨は土を掘り込んで土葬されていた。25~30歳ぐらいの女性。身長は145・8㌢。頭や歯、手足の骨など骨格がほぼそろった人骨の出土は珍しいという。出っ歯で鎌倉や室町時代の女性の特徴を持つ。同遺跡は建物跡の近くから人骨が出てくるのが特徴で、同人骨の5㍍ほどの所にもその跡がある。
直径約1・7㍍の円形の彫り込みの内部に石灰岩を敷き詰めた井戸状遺構も発見した。同井戸の用途は分かっていない。
ミヌズマ遺跡の面積は、3万6000平方㍍以上とかなり広い。遺跡の北東側に建物跡が集中していることから久貝さんは「当時の集落の空間利用を知る資料にもなる」と話した。
今回の調査は「同地に集落があったとする言い伝えを裏付けた」と成果を強調する。宮古で猛威を振るった与那覇原軍に滅ぼされたとする伝説については、まだその証拠は出ていない。
30日は一般を対象に現場説明会を開く。