行雲流水
2014年2月25日(火)8:55
「育英の父」(行雲流水)
宮古島市の熱帯植物園に、下地玄信氏の銅像が立っている。そばには氏を憧れのまなざしで見上げる少女の像があり、いかにも、「育英の父」と呼ばれた氏を彷彿させるたたずまいである
▼下地玄信氏は明治27年、平良市東仲宗根の生まれ。日本公認会計士協会の設立に加わり、副会長と近畿支部長を長年にわたって務めた。その間、ロンドンで開催された国際会計士会議に日本代表団長として参加するなど、国の内外で活躍した
▼戦後は、郷里の振興に意をそそぎ、なかでも、「資源の乏しい郷里の発展に人材育成は不可欠である」という信念で、多くの学校に図書を贈り、「下地玄信文庫」を設けた。また、基金3000万円で「下地玄信育英会」を設立、人材育成に貢献した
▼同育英会は、戦後いち早く設立された宮古育英会から1000万円の寄付を受け、計4000万円の基金で昭和50年の発足から平成25年までに69名の大学生、大学院生に奨学金を給付した
▼この育英会の初代会長は砂川恵敷氏、第2代が名嘉真春景氏で、この10年余は理事会(理事長・與座勇吉、常務理事・池間徳全)で運用されてきた。複雑な新公益認定法に基づく一般財団法人への移行も平成24年に認可され、事業継続の方策を検討してきたが、低金利時代であることや社会情勢の変化、それに、必要な設備や専門職員を置くことが不可能であること等の理由で解散を決定、認可を受け、官報に掲載された
▼基金等の財産は宮古島市に寄付され、同じ目的で、発展的に活用される予定である。