「宮古島夜曲」作詞家の娘が来島
清水さん「父の情熱的な気持ち知った」
終戦直後から「宮古島のヒット曲」として多くの人に口ずさまれてきた「宮古島夜曲」の作詞家、鏑木(かぶらぎ)隆一さんの娘清水千恵子さん(群馬県在)がこのほど、宮古島市を訪れた。1983年4月、慰霊祭のため宮古島に来た鏑木さんの様子を報じた宮古毎日新聞を手にした清水さんは「父が情熱的な気持ちを持っていたということを改めて知った思いです」と話した。
「宮古島夜曲」は「千鳥なぜ啼(な)く月の浜 伊良部通いの舟が行く-」の出だしで知られる。
当時は、作った人が判明されず、作詞・作曲とも「不詳」とされていたが、83年1月のNHKのど自慢全国放送で「宮古島夜曲」を聞いた鏑木さんが「昭和20年1月、宮古島平良町にて」作ったことを証明するコピーを当時の平良市企画室に送付。38年ぶりに作詞したのは鏑木さんということが判明した。
鏑木さんは、群馬県出身で平良宮原に駐屯していた輜重兵(しちょうへい)第28連隊第一中隊に所属。
しばらくして「演芸班」に移り、宮古各地にいる兵隊を慰問するようになった。
歌は慰問をする中で生まれ、「平良の病院でたむろしていた時、ちらちら浮かぶ伊良部島の灯を見て、故郷を想いながら書いた」という。
鏑木さんは17年前に亡くなったが、娘の清水さんは「歌が大好きで、家でもいろいろな歌を歌っていました。『宮古島夜曲』は家族を思い出して書いたと思う」と振り返った。
清水さんは「宮古島夜曲」の1番までは歌えると言い「父が歌っていたことを聞いて覚えたかも知れない」と語った。
清水さんは21日に本社を訪れ、38年ぶりに宮古島を訪れた父が亡き戦友の慰霊碑の前で「宮古島夜曲」を歌ったことを紹介した新聞を手に「父が書いた『宮古島夜曲』の島はどんな所なのか、詩を口ずさみながら、ずっと頭に描いていた」と話した。
清水さんは4人きょうだいの末っ子で、「帰ったらきょうだいで父の事をいろいろ話してみたい。新聞のコピーは何よりのお土産になった」と笑顔だった。