共進会について思う/砂川辰夫
宮古の肉用牛振興について考える⑤
私見公論102
和牛生産農家のホクホク顔の理由は、子牛の高値販売にある。この相場は、私の記憶では、あまり過去にもそれ程例がなく、生産農家は毎月のセリ市が待ち遠しくてならない感は否めない。とりわけ繁殖農家には高値取引が続き大変いいことである。「ンナマ・モーキダカー・イツガ・モーキッチャー」(いま稼がないといつ稼ぐの)とちまたでよく耳にする会話である。
一方で、購買者にとっては厳しい状況に置かれることであり、苦しい経営を強いられることに他ならない。高値をただ単に喜んでばかりもいれない現実がある。
さて、どうしても共進会のあり方・取り組み方について触れておきたい。これまでご尽力されてこられた大勢の先輩方を差し置いて申し上げますが、宮古島での共進会を見ていると農家がつくった牛を、ドタバタして頭数をどうにか確保し、出品につなげ、とにもかくにも一大行事を消化している感がして、決していい取り組み方には思えない。
宮古島の肉用牛の活性化のための絶好の宣伝舞台は県共進会にあると思う。各地域の代表牛を選抜し、つくり上げ、仕上げて評価を頂く県共進会である。マスコミを通し、大々的に報じ、沖縄県の代表牛としてどこそこの牛として取り上げてくれる。県共進会への出品については「参加することに意義がある」などと悠長な考え方ではいつまでたっても「いい牛」はつくれないものと思慮する。「参加することに意義がある」訳ではない。出品するからには頂点(県知事賞・農林水産大臣賞・団体賞)を極める意気込みと取り組みをしなければならない。まさに地域興しの一環として最大限努力すべく、宮古島全体で全力を傾注し、取り組むに値するイベントと考える。思うに、参加しては2位、あるいは入賞と次年度も、次年度もと繰り返しているようでは、宮古の牛は逆に「ダメ牛」の烙印を頂きに参加出品しているようなものと思えてならない。
かつて、宮古は沖縄県を代表し、全国への出品牛を輩出した名門ともいえる地域である。それがなぜ、今できないのか。関係者皆で真剣に考えねばならぬ時機にあると思う。宮古島市にあっては、県の共進会を宮古島市で開催したい旨の開催地誘致の話もちまたでは聞き及ぶ。ならば、これを機に開催地のメンツをかけて、最初から皆で「こういった牛をつくろう」という取り組みをしなければ活性化できないし、これまで以上に努力・取り組みをしなければ頂点はとれないと思うのである。
生まれる前から母牛を吟味し、どの種雄牛を交配するのかも協議する。子牛共進会は、県共進会への出品牛として取り組み、農家へは出品までの飼養管理の指導体制までを徹底的に指導、取り組むことにあると思う。その先導に立ち、旗振り役を担う行政、宮古島市にもっと頑張っていただきたいのである。宮古牛の宣伝、すなわち、内外への「牛どころ宮古島」のイメージアップを図ることの経済効果は大きく、「宮古牛」のブランドを高める一助にも役立つものと思う。また、共進会での成績いかんでは雌牛の購買者誘致、雌子牛の高値販売にも役立ち生産農家には有利に働くと考える。さらに、改良の度合いすなわち自分の所有する牛がどれほどの牛なのか、どこを改良すべきか、他の牛と比較審査をすることにより改良点がわかり、保留牛の改良目的、あるいは種雄牛を選択する上で大事なことでありこのことが「良い牛づくり」の礎とも考える。そういう観点から共進会の役割は重大である。
繁殖生産農家に願うことは、共進会へ積極的に参加し、自ら「良い牛」をつくろうとする努力、意識・目標を高く持ち共進会を皆で盛り上げることを切に願うものである。「バガウスヌドゥ・イツバンダラ」(私の牛が一番)と言って自慢していいが、先進的視野に立ち「一日一歩」牛のごとく、ゆっくりでいい、改良を推し進め「牛どころ宮古島」にしようではないか。「良い牛」はほしい。共進会には無関心では困る。共進会に出品する牛をつくることで、(三元交配を基本に)自ずと「良い母牛」「良い牛」はつくれる。すなわち、高く売れる子牛づくりができると思う。それこそ、「先進的和牛生産地の構築」へと発展していくことになるのではと思います。
(すなかわ たつお・JA下地支店長)