「なぜ、今は心の時代だと言われているのか」
沖縄国際大学名誉教授 福里盛雄
1 今は心の時代だとよく言われている。
テレビ、ラジオ、新聞、雑誌等も、人の心の問題をよく取り扱っています。心理学はもちろんですが、カウンセリングも大変盛んに行われ、人の心が貧弱になり、栄養失調に陥っていることが指摘されています。心が栄養失調になると、自分の行動を正しくコントロールする力を失います。人の心が、コントロールを失うと、楽しい社会生活をしていくことが難しくなります。今日の社会の人間関係が希薄になっているとの指摘がされていますが、その背景的理由として人の心がその栄養を失っていることが考えられます。
今日の多くの国々の生活は、物質的には豊かになりました。本来食べ物は体の健康のために、栄養素を取り入れるためでありますが、今日では、いかに美しく目に映るかということの料理研究が盛んです。それも機械文明の発達のおかげです。ところが、機械文明は、生産性の向上のために合理化が優先され、人の心の問題には、あまり関心を示さなかった。人の心の豊かさは取り残されてきました。人の心の豊かさは、合理化によっては培われないのです。かえって不合理性の中でこそ、人の心は、その栄養素を吸収するのではないでしょうか。
今を生きる私たちは、多くの生活に常に合理性を持ち出し簡素化している。そのことによって、私たちの心は栄養を失い、心の豊かさを失っています。心の豊かさを失うと、社会生活が希薄になります。社会生活が希薄になるということは、お互いの人間関係を失うことになり、バラバラに孤独に生きることを意味します。
社会生活をしている私たちは、お互いの連帯と協調性を必要とします。その必要性が満たされるとき、私たちは生きる希望が湧いてきます。お互いの連帯性・協調性が失われると、人は孤独になります。孤独な人は、自己中心的になり、他人と仲良く生きていくことが難しいと言われています。孤独な人は、さまざまな問題課題を背負って生きています。
2 心の栄養素は何か、それをどのようにして手に入れることができるでしょうか。
私たちの心は、天地万物の創造者から与えられました。その心が何らかの理由で疲れたとき、「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます」(マタイ11・28)、と私たちの創造者は心優しいまなざしで招いておられます。
私たちは、心の栄養素を心の創造者から豊かに供給され、心の疲れ、人生の重荷を軽くして、楽しい明るい希望に満ちた社会生活をしたいものです。心の栄養失調の問題が解決されれば、今の社会で起きている悲しい出来事の大部分が解決されるのではないでしょうか。そのために、世の知識人たちは、人が心の豊かさを手に入れる方策を考え出すことに一生懸命になっています。
今の人々は、知識過剰と言われる程に、知識の蓄積に重点を置いています。どれほど知識を蓄え持っていても、その人の心が栄養失調の状態なら、せっかくの知識もよい働きはできない。
私たちの心がその力を発揮し、私たちの行いをコントロールして、各人の持っている特質を社会の人々の幸せのために用いるならば、お互いの絆は強くなり、この社会に生きていることに感謝するようになり、自殺者も減少し、悲しい事故や事件も減少するのは確実だと考えます。社会の不幸な出来事の根底に心の栄養失調の問題が存在していることに世間の人々は気づくようになりました。今は、その心が豊かになるためには、どうすれば良いのか、さまざまな模索がされています。そのために、「今は心の時代」と言われるゆえんです。