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行雲流水
2015年6月13日(土)8:55

「植民地」(行雲流水)

 宮古島はかつて琉球王国の植民地であった。慶世村恒任の『宮古史伝』第四編第七章に落書(らくしょ)事件の記述がある。1860(万延元)年、波平島尻輿人なる人の宮古島の窮状を訴える文書が発覚して琉球王朝に処罰された事件である

▼文書は三カ条からなる大方次のような内容である。一、琉球は小国にして大国の狭間にあって政治が思うようにならず財政は窮乏し、下々のものは貢納に追われて休む間もない。一、宮古島は古くは独自の政治を行ってきたが、琉球王国の属領になってしまった。しかし、宮古島の住民は大和を親国と思っている。一、かなうことならこの思いが大和の高官に届き、悪政に困窮し疲れはてた島民を救ってくだされば喜んで大和に服すものです

▼琉球王府はこの文書を反逆と断定して波平を捕縛し共謀者4人とともに裁き波平は死罪、ほかの4人は流罪となったが、波平の場合はその妻子まで流罪になっている

▼当時、日本も琉球も政治状況は末期であった。波平が大和人に密書を託したのは時期が悪かった。支配体制が危機的状況にあると体制に反する行為は必然的に厳しい処分になる。ましてや属領の住民が他国に救援を求めるなど許されない

▼現代では属領とか植民地などの言葉を聞くことはほとんどない。自由と民主主義が共有されて自治区、信託統治などといわれるようになったからだろう。ところが驚いたことに「沖縄の現状は植民地」と言い出す政治家が沖縄にいた

▼沖縄は租税負担にあえぎ、言論の自由もない万延元年の宮古島と同じ状況ではない、とすれば植民地発言は政治活動としての反政府・反日スローガンか。

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