佐良浜ヒャーリについて/中村雅弘
私見公論105
旧5月4日(6月19日)、佐良浜ではヒャーリ行事が盛大に行われる。近頃は各地域の漁港、浜で旧5月4日、または日曜日にハーリーとして、サバニによる爬競船競漕をメインとする行事が行われている。私は佐良浜ヒャーリにかかわる者として、佐良浜ヒャーリを紹介したい。
大漁、海上の安全(カリユシ)、無病息災をリュウキュウノカンに願う佐良浜の民俗行事である。
佐良浜ヒャーリの由来について話す。
沖縄におけるハーリーはおよそ600年前、中国から伝来したと言われている。佐良浜では、1887年頃糸満の漁師が佐良浜にトゥマイリンに出稼ぎに来て5月4日までに糸満に帰ることができず佐良浜でヒャーリ(糸満ではハーレーと言う)を行ったと言われている。そして、その日は、サバニによるヒャーリクズ(爬龍船競漕)を行いリュウキュウノカンに大漁、海上の安全を祈願するならわしとなった。以前は、池間島の漁師たちも佐良浜に遠征し競漕したこともあったようである。ヒャーリの日は、すべての漁船・サバニにいたるまで漁を休み船を大漁旗で飾り、夜明け前から港を出て大主神社を拝んで長山方面(伊良部大橋)に回航する。カツオ船は散水しながら模擬カツオ釣りも行っていた。中学生は港で水泳大会を行いヒャーリを盛り上げていた。青年たちは、アガイジャトヒダ(池間添の浜)・イージャトゥヒダ(前里添の浜)でサバニ競漕(ヒャーリクズ)を分会別対抗で行う、老人の方たちは、互いのヒダ(浜)で各船から寄贈される、酒、さしみ、お菓子等で懇談しながらヒャーリクズを観て、応援しながらヒャーリを祝う。以上が由来であり、両ヒダでは約130年前より引き継がれている。両ヒダでのしきたりは、男たちの升むい(神に酒をささげる)・漁船の升むいが行われ、その酒で座になりヒャーリを祝い酒盛りを行う。その間に青年たちは各分会対抗のヒャーリクズを行っている。2カ所に分かれているのは、両字の舟着場の浜が2カ所にあったため各字に分かれてヒャーリが行われる。
1975年頃から、佐良浜漁港の整備が行われ、伊良部漁業協同組合の移動、広場の整備が図られ、伊良部町と共催でヒャーリのイベント化で名称も海神祭と称し住民全員が参加する行事となっているが、両字の浜でのヒャーリは、旧のしきたりで継承している。
市町村合併で伊良部漁業協同組合単独主催となった佐良浜海神祭について記する。場所は漁業協同組合横広場で組合員、職員、老人クラブ、婦人会、保育所、小中学校、伊良部高校が参加し催しを行う。午前8時30分の開会式そして、大主神社までの祈願パレード、会場に戻り各団体の踊り等が行われる。今年は民泊修学旅行の沖縄市立美里小学校の生徒たちの参加、出し物もあり、離島漁村の行事の参加で修学旅行の思い出づくりがあったと思う。
小中学生対象の模擬カツオ釣り(ただし本物のカツオを使用)、相撲大会(かつては大主神社前で夕方行っていた)、中高生対象の爬龍船競漕等が行われる。そして、フィナーレとして、参加者、最大の関心事カツオの大盤まい、現在、佐良浜でカツオ漁をしている4隻のカツオ船より1隻当たり400㌔(合計1600㌔)のカツオのぶつ切りを船上より桟橋の観衆に投げ与える。人によっては10㌔以上の収穫もあるとのこと。漁業協同組合主催の行事は大盤まいで終える。
その間、港の漁船では、明け方から大漁旗をかかげ大漁と航海安全を祈願する酒盛りを行う。これには、知人友人たちが酒を持ち寄りともに祈願する。
最後に那覇ハーリー、糸満ハーレーが沖縄県内の大きなイベントとして催されている。伊良部大橋の開通もあり今後佐良浜ヒャーリが宮古におけるイベントとして成りえるか、いらぶ観光協会、佐良浜振興会の関係者が模索しながら、両字のヒャーリ行事には積極的にかかわっていることも報告する。
中村 雅弘(なかむら・まさひろ)1950年生まれ。宮古島市佐良浜出身。1974年琉球大学農学部卒業。同年伊良部町役場採用。自治労連沖縄地方協議会会長。宮古地区同盟議長歴任。2011年宮古島市役所退職。佐良浜においてボランティア活動。