52年ぶりに宮古旅行/大学卒業以来の3人
近代化農業、大橋にびっくり
心に残った当時振り返る
52年前の1963年に、大学卒業記念で宮古島を訪れた3人がこのほど来島し、当時世話になった人たちと感激の再会を果たした。当時は復帰前で、パスポートとドルを持っての旅行。一面のサトウキビ畑に感激したり、島の人たちと交流したりした2泊3日の滞在は、心に残るものがあったという。「いつかまた来たいと思っていた」。希望が実現した3人に、20代のころの熱き思いがよみがえった。
宮古島を訪れたのは岡本崇さん(74歳、奈良県五條市)、武田順治さん(74歳、長野県中野市)、杉浦捷之さん(73歳、愛知県豊田市)。
当時宮古島は干ばつで、「サトウキビは例年の半分しか収穫できなかったと聞いた」と岡本さん。今回来てみてびっくりしたことは、スプリンクラーでの散水とハウスでのマンゴー栽培で「当時とは比べものにならないほど農業は近代化が進んでいる」と語った。
池間、来間、伊良部の三つの大橋も「あの時は考えもつかなかった」3人だが、開通したばかりの伊良部大橋を渡った時には「宮古島の発展ぶりを実感した」という。
3人の卒業旅行は、63年11月5日~25日までで、東京-九州-八重山-宮古を旅した。
岡本さんが当時の様子を写真付きで詳しくつづった「沖縄紀行」によると、石垣から「八汐丸」で、漲水港に着いたとあり、宮古島の印象を「石垣島や那覇に比べて一段と落ち着いて美しい街だ」と記した。
大学の同級生が宮古にいて、その実家でくつろいだことや「昼飯は野村レストラン。ウエートレスにサインを求められ、色紙に名前を書く」(沖縄紀行)など、島の人たちとの交流もあった。
もう亡くなった人たちもいたが、3人は、宮古を離れる際、1ドルずつの餞別(せんべつ)をもらったり、土産にと黒砂糖を手渡されたことを振り返り、「あの時はどんなにうれしかったか。今思い出しても感謝の気持ちが湧き上がってくる。また来たい」。宮古は青春時代の記憶を呼び戻してくれる場所だと思っているようだ。