「百歳まで吹き続けるよ」/マイティー・下地さん
72歳、現役サックス奏者
人気歌手と共演したり、復帰前には米軍クラブジャズバンドの一員として活躍、72歳となった今でも、現役のサックス奏者として舞台に立つマイティー・下地さん(本名・下地恵壹)。「これからもチャリティーショーに出演したり、福祉施設などを訪問したりして、音楽の素晴らしさを伝えていきたい」と意欲的だ。さまざまな人との出会いが人生を変えたという。「これからは恩返しのつもりで、百歳までサックスを吹き続けるよ」
子供のころから音楽が大好きだった。出身地の比嘉では有名で、そのころからギターを手に、春日八郎さんの「別れの一本杉」などを流して歩いていたという。
仕事で那覇と東京を行ったり来たりしていたころ、日本を代表する作曲家の一人、遠藤実さんにスカウトされたことが転機となった。
最初は歌手を目指していたが、テナーサックス奏者に転向。練習に励む一方、米軍基地内のクラブで毎日のように演奏し腕を磨いていった。
デビュー前の水原弘さんや黛ジュンさんらと交流、共演、海外ショー出演など華々しい舞台の数々。その中でも最高の思い出は、日本復帰の1972年5月15日、パシフックホテル沖縄で開かれた「歓迎会」と称した席でBGMを演奏したことだ。
「佐藤栄作総理大臣など、日米の官僚が勢ぞろいしている中での演奏は、歴史の中にいるという感覚だった。40年以上も前だが、最近の出来事のように思える」
松山恵子さんと共演した宮古島公演も忘れられない思い出だ。「1日三回の公演はすべて満席。切符を求める長蛇の列や、会場内の熱気に圧倒されそうだった」と振り返る。
3年ほど前に出身地比嘉に戻った。ふっと考えると、人生で出会った人たちや、自分を育ててくれたふるさとがなんと偉大だったことか。
「これからは恩返しの人生。音楽を通して出会った人やふるさとに感謝の気持ちを伝えていきたい」と笑顔を見せた。