「写真の人は私の兄」/弟の下地政治さん
60年前に米軍人と撮影/再会望むもすでに他界
「写真に写っているのは、亡くなった私の兄」-。1955年に、上野野原の米軍レーダー施設で働いていた元軍人と一緒に写っているのは、当時、郵便局で働いていた下地政雄さんであることが分かった。弟の政治さん(79)=平良東仲宗根=が、本紙に掲載された写真を見て連絡してきた。撮影時期は、第2次世界大戦の終戦から10年目で、政雄さんは当時22歳。政治さんは「きょうだい思いで友達が多い兄だった。60年前の兄の写真が見られるとは…」と感慨深げだった。
政雄さんと一緒に写っているのは、米国ペンシルベニア州に住むジョージ・ダンガンさん(81)。「縁があれば再会したい」と本社に写真と手紙を送り、情報提供を呼び掛けていた。
ダンガンさんは当時20歳。政雄さんのことをよく覚えており、送られた手紙には名前を「下地まさおさん」と書いてあった。「郵便局で働いていたと思う」とつづり、クリスマスカードを送られたこともある仲の良い友人だったと記していた。
ダンガンさんは昨年、60年ぶりに宮古島市を訪れ、親交のあった人たちとの再会を期待したが実現しなかった。
弟の政治さんによれば、政雄さんは7人きょうだいの一番上。宮古農林高校(当時)1期卒で、卒業後は宮古の郵便局で勤務していた。
しばらくして沖縄本島の郵便局に移り、局長を務めた後、那覇の郵便局で定年を迎えたという。
亡くなったのは、20年前の95年9月19日で、ダンガンさんと政雄さんの写真が本紙に掲載された3日後が命日だった。
妻の由希子さん(79歳)は現在、長男夫婦と那覇に住んでおり、同じ写真を大事に保管しているという。「私と結婚する前の写真で、当時の米国人とどういう接点で友人になったのかは分からない」と話した。
めいのゴメスデソウザ美智子さん(45)は、政雄さんから「ミチター」と呼ばれてかわいがられたという。「新聞を見てすぐに政雄おじさんだと分かった。背が高くておしゃれで、部屋には大きなソファと珍しい形の瓶に入ったウイスキーが並べられていた」と語った。