初の翻刻・現代語訳を発刊/「与世山親方宮古島規模帳」
宮古の歴史研究に貴重な1冊
市教育委員会はこのほど、宮古島市史資料3「与世山親方宮古島規模帳」・付録「近世用語」(解釈・下地和宏宮古島市史編さん委員会副委員長)を発行した。同規模帳は、1767年に首里王府が宮古島の在番・蔵元(政庁)に布達した一種の法令。祭事などの制限・禁止・倹約などが244条で構成され、村々の節目祝いの「節増」、各宮・御嶽での「夜籠もり」などを禁止した。翻刻・現代語訳で一冊にまとめられたのは今回が初めて。今後、活用されることで宮古の歴史研究が進展しそうだ。
与世山親方宮古島規模帳は、「よせやまおやかたみやこじまきもちょう」と読む。与世山親方が派遣された理由は、王府の正史「球陽」1766年のくだりに記されている。宮古の頭らが、宮古では制度が混乱し、風俗が乱れ、年ごとの年貢を欠き、政治は乱れているなどとして、王府に検視(行政監察官)派遣を願い出た。
それを受け、上級官人の与世山親方らが派遣され、行政や諸村を視察。帰任後、視察結果を王府首脳陣に報告し、67年に同規模帳は通達された。
禁止されたのは、▽不ふり(豊年祭)▽月夜に男女が手を取り合って遊ぶ「よふね」▽池間・前里・狩俣3カ村の「磯神祭」▽池間・前里2カ村の「くり舟を買って来た時の乗り初め勝負」▽松原・久貝2カ村の「さにつ」・「世乞い」など。
一方、役人に対しては、▽織女に賃米を渡さず、自分の布織りをさせることは法外なやり方なので禁止すべき▽村に野菜や肴などを所望し、代米を渡さない者もおり、厳しく取り締まりを申し渡すべき▽在番や頭以下の諸役人は、自分の物を離島の用船に村小役で船を仕立てさせて、賃米を払わないで運送させていることは、今後禁止すべき-などと規定している。
同規模帳通達から26年後の1793年、王府は、祈願や祭事、野原・浜辺での遊びの禁止を撤廃して公認した。
「宮古島在番記」には「禁止しては、(百姓は)かえって仕事を怠り、農業などの励みにもならない」と記録されている。