行雲流水
2016年3月1日(火)9:01
【行雲流水】パスカルの賭け
歴史に残る思想家といえどもその人生観や世界観はひとそれぞれで、その多様性と特異性が普通の感覚をもった人々を楽しませる。「パスカルの賭け」というのがある。パスカルは「パスカルの法則」で有名な物理学者で「確率論」でも名高い。彼は論ずる。「もし、君が勝てば、君は全部もうける。もし君が負けても、何も損しない。だから、ためらわずに、神があると賭けたまえ」
▼先日、旧十六日祭が行われたが、確かに損するものはなく、得ることが多い。家族、親族の絆が深まるし、亡き人を思い出す機会にもなる。ただし、神(仏)をパスカルの論理に従って、信じたからではなく、多くは地域文化の習慣にしたがったまでのことである
▼このように、強く疑うことも信ずることもできない人々をパスカルは「怠け者」と断じている。あん餅が食べられるのでうれしいなどと思う者は、怠け者を通りこして、不心得者となろう。でも、アラーの神を信じるイスラム原理主義者たちのように、破壊や殺りくを行うことはない
▼宇宙に特別な目的はないと考えたスピノザの推論。「もし神が目的のために働くとすれば、神は何か欠けるものがあってそれを欲求していることになる」。これは神が完全で自己充足的であることと矛盾する
▼神は人間を完全にすることができなかった。なぜなら、それでは神が別の神をつくることになるからだ(ライプニッツ)。幸か不幸か、人間は不完全なものである▼「哲学者たれ、ただ哲学のただなかでもなお一人の人間であれ」(ヒューム)。