行雲流水
2016年3月19日(土)9:01
【行雲流水】学校
4月、新学期が始まる。学校が最も華やぐ季節だ。新入生は少しばかりの不安があっても新しい世界に夢と希望に胸膨らませてその表情は明るい。進級する児童生徒は一段と逞しく見える。そのような子供たちの将来に親も祖父母も夢をはせる。喜びはひとしおだ
▼しかし、学校の華やかさの陰でひっそりと社会の片隅に佇む親子がいることには誰も気に留めない。昨年の新学期に沖縄本島の小学校でちょっとした事件があった。新聞やテレビで報道されるほどのものではなかったし、事件というほどのことではないと学校も思ったのだろう
▼新採用の学級担任が一人の生徒を罰した。学校で教師が生徒を罰するのは指導の一環としてある程度のこと、だれが見ても適切だと思える罰の仕方は許されると思うが、この新任教師は違った
▼ごみ箱のちりを廊下にまき散らして、それを片付ける罰を課したのだ。明らかに生徒の人格をないがしろにした処罰といえよう。その子はこのことを親に言うこともなく2学期を終え運動会を済ませて冬休みを迎えようとする時期になってようやく「学校に行きたくない」と事の次第を打ち明けたという
▼学校は、そこで何が起こっているのか部外者には想像すらできない密室だ。教師は生徒にとっては絶対ともいえる権力者だ。生徒の処罰は密室の中で権力者の思うままといっても過言ではない。大学には罰の仕方についての講義などある筈がないのだから▼新学期を迎えて新入児童生徒や進級する子供たちにどう向き合うかは教員次第だ。「モンスターペアレント」が生まれるのを避ける意味でも行き過ぎた罰や間違った指導があってはならない。