【私見公論】「市の鳥・サシバ」の現状と保護/仲地 邦博
みなさんは、「宮古島市の鳥」をご存知でしょうか? そうサシバです。50歳以上の方には、馴染みの鳥ではないでしょうか。運動会(10月中旬)の頃に、大きな群れをなして渡って来たあのタカのことです。40年前までは、空が暗くなるほどの数だったようです。しかし、近年のサシバの飛来数は、増減はありつつも確実に減少しています。
さて、宮古野鳥の会は1973年からサシバの保護活動と飛来数調査を継続して実施してきました。
まず保護活動では、残念ながら1980年代までは密猟は行われていました。1973年までは合法であった「サシバの捕獲」は、秋の楽しみであり、栄養補給の面もあった長年の生活習慣で、すぐには変えられなかったのでしょう。しかし、「サシバは国際保護鳥で、密猟すると刑罰を受ける」ことをマスコミ、警察、教育委員会等の協力を得て、強力にアピールしました。
一方、旧伊良部町内の学校では、環境教育の一環としてサシバの保護思想を浸透させていき、中学校の生徒会は母親の会を巻き込んで地域ぐるみのサシバ保護活動を盛り上げてくれました。
1990年代になると、70~80年代の中学生たちが社会人になり、サシバの保護活動に協力してくれるようになりました。1993年 旧伊良部町教育委員会が県と協力して「第一回サシバは友だちフォーラム」を開催した。サシバの渡りの本土における第一番目の集結地である愛知県蒲郡市立西浦小学校の参加を得て、「サシバは友だちサミット」が開催された。このサミットはマスコミで大々的に報道され、サシバの保護思想は急速に高まった。翌年には「第二回サシバは友だちフォーラム」を開催した。
2000年以降、サシバの密猟はほぼ無くなりました。これからのサシバ保護活動は密漁防止ではなく、サシバが渡りの途中で休息できる環境、越冬しやすい環境の保全・創出に、重点をおくべきだと考えています。
次に飛来数調査では、1973~1990年の平均は約3万5500羽、1991~2000年の平均は約2万1800羽、2001~2016年は1万5300羽となっています。44年間の統計では、一年で722羽ずつ減っています。このまま推移すれば、計算上では14年後にはサシバがゼロになる危機的状況です。これらの結果から、環境省は2003年にサシバを絶滅危惧Ⅱ類に指定しました。
サシバの減少の原因は繁殖地、渡りの中継地、越冬地それぞれにあります。繁殖地では、ゴルフ場の造成や耕作地の放棄などで里山が減少、中継地は樹木の伐採などによる樹や森林の減少、越冬地では密猟や森林の伐採などです。
日本でのサシバの渡りの最大の中継地である宮古諸島の住民であるわれわれは、サシバが安心して休息できる環境を整える義務があると考えます。近年、止まり木となるリュウキュウマツなどの大木が伐採や台風で減少しています。まずはリュウキュウマツや宮古島の在来種で大きくなる木を植えて「サシバの森」を造ることを提案します。
また樹木を皆伐らずに残す、あるいは移植する方法で土地改良を行ってほしいと思います。現在の方法ではたった14%しかない宮古島市の森林率は低下し、宮古島市の観光の売り物である「きれいな青い海」が、赤土で汚染される恐れがあります。
宮古島市は「エコアイランド」を宣言していますし、サシバは市の鳥でもあります。サシバが渡来する自然環境を守る、あるいは造ることに真剣に取り組んでこそ「エコアイランド」と言えるのではないでしょうか。
サシバを保護するのは何のためでしょうか。理由はいろいろ挙げられます。例えば、サシバが好きだから、法律で決まっているから、観光客が増えるからなどです。しかし最も根本的な理由は、「サシバが生きやすい環境は、人間も生きやすいから」ではないでしょうか。
サシバはアンブレラ種(高次消費者)といわれ、豊かな生態系に支えられて生きています。逆に言えばサシバが生活している場所は、生態系が豊かだということです。豊かな生態系は、ヒトにとっても生きやすい環境になっているはずです。
いつまでも多くのサシバが渡ってくること、勇壮なタカ柱が見えることを願います。
※参考文献 「サシバを追う宮古の野鳥たち」(2003)久貝勝盛著(みえばし印刷)
(宮古野鳥の会会長)