宮古上布の功績たたえる/宮古織物事業協同組合
関係者集い「稲石祭」/反物供え、継承発展誓う
宮古の稲石刀自が1583年、綾錆布を創製して琉球王国に献上したことから宮古上布織製の端が開かれたとして、その功績をたたえる「稲石祭」(主催・宮古織物事業協同組合)が30日午後、平良の旧宮古神社跡地で執り行われた。同組合理事長の長濱政治副市長や組合員、稲石の子孫とされる洲鎌ツルさん(88)=下地=ら多数が参加し、稲石高炉前で宮古上布の継承発展を誓った。
同組合によると、今から400年前、琉球の進貢船が台風に遭い沈没寸前になった。乗り合わせていた宮古の洲鎌与人真栄は荒れ狂う海に飛び込み、船の故障を直して全員の命を救った。この出来事の情報は琉球国王に伝わり、国王は功績をたたえたて真栄を間切頭主として任命した。
真栄の妻・稲石は大いに喜び、綾錆布を織り国王に献上した。これが宮古上布の世に出るきっかけとなったとされる。
祭壇には宮古上布の反物や鰹節、昆布、果物、神酒、塩などが供えられた。宮古神社の奥間寛次神主の祝詞奏上後、長濱副市長があいさつ。「稲石が琉球王朝に貢物したのが1583年。その100年前くらいに朝鮮の方々が乗った船が遭難し、与那国島に漂着した。漂流者たちは与那国島から島々に護送され、沖縄本島に渡った。その間に護送された宮古島では、人々は苧麻を藍で染めた衣服を着ていたという。いろんなことから考えると、600年前ぐらいから私たちの祖先は宮古上布を着けていたことになる」と語った。
その上で「宮古上布に関わる者として誇りと自信を持って、これからも宮古上布の製作に取り組んでいく」と決意を新たにした。
県宮古事務所の久貝富一所長(代読・川満勝也総務課長)は「宮古上布はその質の高さから国指定の重要無形文化財として高く評価されている。これもひとえに稲石の卓越した知識と技術のたまものである。その技法を長い歴史の中で育んで発展継承してきた宮古の人々の伝統文化に対する情熱と努力が為し得たもの」と述べた。
次いで市議会の棚原芳樹議長が参加者らを激励した。参加者らは、互いに情報交換しながら、さらなる宮古上布の継承発展に気持ちを新たにしていた。