50年前よみがえる
当時知る関係者と懇談/元米空軍レーダー技師のレイニーさん
本紙報道きっかけ
知人探しの旅で宮古島を約50年ぶりに訪れていた元米空軍のレーダー技師だったバゼラ・G・レイニーさんが基地で勤務していた当時(1964年)の様子を知る6人が21日、宮古毎日新聞社でレイニーさんと面会した。レイニーさんは「これまで、自分の中で曖昧だった記憶や、当時の知り合いの名前が思い出せた」と面会を喜んだ。「この旅の目的の多くは、達成できたと思う。これほど早く関係者が見つかるとは思わなかった。宮古島に来て良かった。とても良い旅になった」と話し、いろいろ連絡を取るなど、親身になってくれた宿泊先の東野加代子さんに感謝した。
レイニーさんは宮古島の米軍第623航空警戒管制中隊第1分遣隊に1964年1月から65年1月まで勤務していた。
レイニーさんは基地の近くで火災が起こり、燃える家から同僚が家人を助けたことを鮮明に記憶している。当時、基地内のランドリーで働いていた平良キネさんは「確かに、火事はあった。覚えている」と話し、レイニーさんが持参した当時の写真を見ながら、「この人は分かる。この人の名前も分かる」とレイニーさんに名前を教え、レイニーさんは「そうだった」と、曖昧だった記憶を呼び戻していた。
夫の平良長勇さんと訪れた節子さんは、姉が米国ミシガン州在住で、娘のエミコさんの仕事場の上司が、レイニーさんの友人であることも分かり、「世界は案外小さいのかもしれないね」などと、会話を弾ませた。
亀浜常久さんは「このころ、自分も基地で勤務していたウォルター・ジョーダンさんと友達だった。時期が重なっていれば、レイニーさんと知り合いかと思い訪ねた」。ジョーダンさんは、レイニーさんよりも少し早い時期の基地勤務だった。2人に面識はなかったが、亀浜さんが持参した、旧平良市の市街地の写真で、亀浜さんの説明を聞きながら、レイニーさんはさまざまなことを思い出したようだった。
レイニーさんたちは話が進むにつれ次第に打ち解け、1960年代前後の基地や当時の出来事などの思い出話に花が咲いた。