福島と宮古、交流続く/東日本大震災から6年
4年で39家族136人招く
保養プロジェクト「笑顔カレンダー」収益で
未曾有の被害をもたらした東日本大震災からきょう11日で6年。地震に伴う東京電力福島第1原発事故の影響で、いまだに故郷の福島県へ戻れない人や避難した児童や生徒らに対する「いじめ」も社会問題化している。宮古島では震災後、市民グループが被災した福島県の家族を保養で招待する取り組みが現在も継続中で「笑顔」をテーマに絆を深めている。一方で、宮古島も被災地になる可能性は十分にある。震災から年月が過ぎていく中、防災の意識を常に高く持ち続けることも課題として突きつけられている。
宮古島では東日本大震災発生2年後の2013年から、原子力発電所の事故の影響が残る福島県から子供たちと親を毎年夏に招待している。宮古島での保養に「笑顔カレンダー」の販売収益などで招き交流するプロジェクトで市民有志らにより行われている。これまでに延べ39家族136人が福島ではまだできない自然とのふれあいなどを宮古島で楽しんできた。今年の開催も決定しているほか、来年の保養資金を造成するための18年版笑顔カレンダー用の写真撮影会があす12日から始まる。
保養プロジェクトが始動したのは大震災翌年の12年。福島の子供たちが放射線量の低い地域で一定期間過ごす保養を宮古島で実施したいと考えた市民有志が「うむい宮古島」という団体を結成、資金造成のため市民らの笑顔と福島へのメッセージを365日分掲載する「笑顔カレンダー」を作成し、1部500円で販売する取り組みを開始した。
それと並行し、「うむい宮古島」のメンバーや趣旨に賛同する市民らで保養プロジェクトの実行委員会を立ち上げ、福島からの家族をホームステイで受け入れるホストファミリーの募集、宮古島での体験メニューや市民との交流の場の準備などを進め、13年7月24日から5泊6日の日程で8家族34人を初めて受け入れた。その後も毎年7月下旬から1週間程度、9家族から11家族を受け入れてきた。
14年の保養2年目から毎年ホストファミリーとして福島の家族を受け入れていて、今年は保養プロジェクトの実行委員長を務める楚南均さんは同プロジェクトについて、最低でも10年間は継続する計画であることを示すとともに、「回を重ね、福島の人との信頼関係も築けてきたと思う。プロジェクトとしてどれだけ続けられるかは分からないが何らかの形で福島の人たちとずっとつながっていきたい」との考えを示した。
昨年、保養を受け入れた時の話として「朝食で卵を焼こうとしたら、福島産の卵はまだ生では食べていないので、卵掛けごはんにして食べたいと言われ、まだそんな状況なのだと驚いた」と語る楚南さん。「避難指示が解除される地区もあるが原発問題が終息していない現状では福島は実際にはまだ帰れる場所ではない」との認識を語った。
今年の保養は7月25日から6泊7日での開催が決定していて、17年版「笑顔カレンダー」は現在も発売中。実行委員会では今後、ホストファミリーや受け入れを手伝うサポート会員の募集も実施する。18年版カレンダーの第1回撮影会は12日午前11時からマックスバリュ宮古南店前で開かれる。楚南委員長は広く市民に協力を呼び掛ける。