次の半世紀へ決意新た 今年、設立から50周年 宮古島商工会議所
宮古島商工会議所は、今年設立50年の節目を迎える。1975年4月5日に日本商工会議所に加盟し組織変更してから半世紀。圏域経済の牽引役としての責任を果たしてきた。「宮古島バブル」という形容詞が浸透するなど最近の島経済は激変している。各種課題と変化への対応を求められる中、半世紀の歴史を振り返り、現状をどう捉え、未来をどう描いているのかを根路銘康文会頭(56)、野津芳仁副会頭(51)、中尾忠筰副会頭(47)の3人に聞いた。
■50年目を迎え
根路銘会頭 この50年の歴史は、歴代の会頭、会員、職員含め多くの人たちが島の経済を盛り上げるために頑張った成果。このバブルというか、好景気の状態まで歴史を築き上げることができたのはやっぱり会議所が立役者になってきたという意味もあり、とても大きい。同じように歴史を重ねた会社が島内には多く存在している。それを今後100年続くような環境を整えていきたい。
中尾副会頭 これまでの歴代の会員と職員の皆さん、議員の皆さんの力添えの中で、この半世紀の歴史を刻めた。その間、経済的な発展も遂げてきたが、一番大切なことは会議所が必要とされてきたということが大きなことだと思う。必要なサービスや支援をしっかりと提供し続けてきたからこそ、半世紀の歴史が刻めた。これからもそういった存在であり続けることが大切。
野津副会頭 50年の歴史を積み重ねてきたが、ここ最近の10年間の動きが激しかったし、急激に変化してきた。そうした環境の変化にも会議所という存在がちゃんと対応して会員と一緒に宮古島の経済のために頑張ってきたことに意味がある。それができたのは先輩たちが築き上げた歴史があったからこそだと思っている。
■ 課題と展望
根路銘会頭 現状で家賃、土地代の高騰と物価高。さらに、労働者不足といろいろな課題がある状態で、実際どれぐらいのお金が島に落ちてるのか。理想は自立経済ではあるが、それは現実的には厳しい。官民で仕組みをつくりながら地域経済を伸ばしていくことが大切。また、会員や企業も高齢化している部分もあるので地域で連携できるところはしっかり連携を強化していくことが大切。
中尾副会頭 一番の課題は、今の経済状況が本当に地元収益となっているのかという部分。この10年の間にインターネットの普及が一気に進み、情報を早く得た島外の人たちがいち早く事業を手掛けたりする状況もあった。今、情報はどこにいても得られる時代でDX化を含めてその情報をいち早く取得して有利に活用する仕組みを進め地元の収益につなげていく役割が会議所にはあると思う。
野津副会頭 もちろん経済もそうだが、農業も漁業も含め、観光業も「人不足」が一番の問題だと思う。中尾さんもよく指摘するが我々年代(50代前後)は、島に帰ってきても仕事がなかった世代。どうやったら若者が戻ってくるのか、アピール方法を考えていたさなか、家賃、物価を含めすべてが値上がりした。今、給料は良いが家賃も高いから戻れないなど、経済が急激に発展したことで想定していなかった課題が出てきた。本来であれば戻ってこれた島の人たちが戻れない状況がある。これは新たな課題として解決する方法を考える必要がある。
■ 次の50年に向け
根路銘会頭 これは宮古島全体に言えることだけども、人を育てること。優秀な人材をどれだけ生み出すか、島の環境をどれだけ維持したまま経済を伸ばしていくか。内需をどれだけ生み出すかが重要。そのためには、地域コミュニティーをしっかりと機能させたい。そのためにも子育てや教育環境含め住みたい島にしていく。高校卒業後、いったん島を離れた子どもたちに対してどれだけ島が応援できるのか。そうした面に取り組むべきだし、これからの50年は現状を把握し課題解決のために何が必要かという部分にアプローチすべき。そのためにも市、県、国を含め関係する団体すべてと連携して宮古島を住み良い場所にしていく必要がある。
中尾副会頭 やはり次の50年も「必要とされ続ける存在」であることが大切で、未来への意気込みではある。その時々のニーズにしっかりと対応できているかという部分。そのニーズは決して我々が考えるニーズではなく、会員企業や地域が求めることをしっかりと受け止めた上で解決を目指したい。また、行政側からも必要とされる会議所であるということも大切で、連携を強化しながら臨機応変に各種ニーズに対応していきたい。
野津副会頭 今でも島には本土の企業が相当入ってきている。もちろん、経済の活性化は島の人たちだけではできないこともたくさんあるので、外側から入ってくるもの、島が置かれている現状など、広い視点で現状をどう受け止めて行くかが大切。島全体を活性化させていくためにも共存共栄による経済発展をどう進めていくのかも考える必要がある。