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私見公論
2017年9月8日(金)9:01

【私見公論】最古の遺跡を考える/久貝 弥嗣

補正など55議案提案

 遺跡の発掘調査を行っていく中で、「最古」という言葉は最も人を惹きつける言葉であろう。世界最古、国内最古、最古の人骨など、いくつかの段階や種類に違いはあるものの、考古学ファンならずともそのタイトルに高い関心が寄せられる。

 近年、沖縄県においては、最古と名の付く発掘調査が数多く報道されている。まず、旧石器時代の大発見があったのが、石垣島の白保竿根田原洞穴遺跡である。この遺跡は、新石垣空港の建設に伴って2009年に発見され、2010年より沖縄県立埋蔵文化財センターによって発掘調査が行われた。発掘調査では、約2万年前の人骨をはじめ、1万年前の人骨や石器、動物骨などが出土している。約200点以上にも及ぶ旧石器時代の人骨の出土量は国内最多であり、墓として利用されたと考えられている。これまでの旧石器時代の人骨は、周辺の炭化物や貝などの年代測定結果をその年代の根拠としていた。しかし、白保竿根田原洞穴遺跡の人骨は、人骨そのものから年代測定が実施された国内最古の事例であり、沖縄県の旧石器時代における人の存在を確固たるものとした。

 その他、紙面の都合上、具体的な説明を省略させていただくが、うるま市教育委員会が2014年より発掘調査を実施したヤブチ洞穴からは約9000年前の県内最古の土器が発見され、沖縄県立博物館・美術館が2009年から発掘調査を実施した南城市のサキタリ洞穴からは約2万3000年前の世界最古の釣り針などが発見されている。いずれの発見も沖縄の旧石器時代や先史時代のイメージを一変させる大発見である。

 では、宮古島市はどうであろうか。ご存じの方も多いと思うが、宮古島でも県内最古級の石器が発見されている。宮古島で最も古い遺跡は、上野豊原にあるピンザアブ洞穴で、約2万5000年前の遺跡である。ピンザアブ洞穴からは、人骨とともに、ミヤコノロジカという大形のシカやイノシシ、ヤマネコ、ハブなどの多様な動物が報告されている。しかし、その人々が使用した石器は見つかっていなかった。その未発見であった宮古島の旧石器時代の石器が発見されたのが大原南公園内にあるツヅピスキアブである。ツヅピスキアブは、2009年から宮古島市教育委員会が発掘調査を行い、約1万~2万年前の時代の地層からミヤコノロジカと考えられるシカ骨、イノシシ骨、人骨とともに、チャートと砂岩という岩石を使用した石器が4点出土した。チャートという岩石自体が宮古島では産出されず、最も近い場所では大神島で確認される岩石である。この岩石が遺跡から出ること自体、人が持ち込んだことを示しているが、観察を行うと1~2回人為的に打ち割った痕跡が確認されている。これらの石器が、現在宮古島市内では最古の石器である。

 このような最古の遺跡の発見は、新たな挑戦の始まりでもある。ツヅピスキアブも含めた最古の遺跡の時代は、その時代を検証する情報がほとんどない。そのため、古生物や、形質人類学、地質学の専門家や、放射性炭素年代測定に代表されるさまざまな科学分析を総動員してその時代の文化相の解明にあたらなければならない。最古の遺跡に関わらず、全ての遺跡の報道の裏には、多くの専門家による検証の積み重ねがある。

 現在、沖縄県立埋蔵文化財センターでは、「発掘調査速報展2017」が開催されている。今年度から、埋蔵文化財センター以外の県内の市町村が発掘調査した遺跡も対象となり、宮古島市からは、前述したツヅピスキアブの資料を出展しており、ヤブチ洞穴から出土した県内最古の土器も展示されている。この速報展が、来年の2月には宮古島市総合博物館で巡回展示される。島外の発掘調査の成果については、なかなかふれる機会が少ないのが現状であるが、巡回展では、旧石器時代に関するシンポジウムも開催予定である。1万年以上の遠い昔の宮古島に、どのような文化が形成され、周辺の島嶼地域とどのような関係性を有していたのか、この機会にぜひとも検証を行っていきたい。
(宮古郷土史研究会会員)

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