行雲流水
2018年4月14日(土)8:54
【行雲流水】(有教無類)
4月10日に行われた入学式の様子を宮古毎日新聞は11日付で見開き2ページにわたって特集している。紙面いっぱいに広がる子供たちの表情が晴れがましい。これまでは父母や祖父母に甘えながらの生活であったであろうが、わがままは許してもらえない学校生活がこれから始まる
▼校長先生は入学を歓迎する中で子供たちに三つの約束をする。集団生活の基本を諭しながらの教育の始まりだ。日々成長する子供の将来を思い教え育む親や教師の願いは時代を超えても変わるものではない。古代中国の孔子は教育が大事であることをこう言っている。「有教無類」教えありて類なし、と
▼この言葉には「類なし」をどう解釈するかで教育の意味が違ってくる。「すべての人は平等であり教育を受ければ偉くなれる」あるいは「人は生まれつきの類別はないが教育によって違いがでる」などの解釈が一般的のようだ
▼すべての人は平等で生まれつきの類別はない、だから教育次第で偉くもなれると解釈する。「類」とは似たものの集団を指す言葉であることを思えば教育によって似た者集団から離脱することになる、ということだろう。いかにも教育の重要さを言い表していると思える
▼一方、教育は「類のない」優れた特技や独特な価値観を持った人物を育てる手段だと解釈するのもある。すなわちその子の持つ抜きんでた個性や才能を教育することで伸ばすという意味では教育の本命と言えるかもしれないが現場にとってはかなり高いハードルに思える
▼思うに先生方は新入生に約束した「あいさつ」を求めるだけでなく先生みずからも守れるだろうか。孔子はこうも言っている「言而有信」言いて信あり、と。この言葉は誠実と信頼の大切さを説いている。(凡)