12/21
2024
Sat
旧暦:11月21日 先勝 己 冬至
花は島色
2018年7月15日(日)8:54

【花は島いろ】新城文博さん(53歳)沖縄電力離島事業部次長

電力の安定供給に全力


新城文博さん

新城文博さん

 【那覇支社】沖縄電力で離島事業部の次長として、県内の各離島へ電気の安定供給維持に努めているのは、城辺新城生まれ、平良東仲宗根育ちの新城文博さん(53)。現在、各離島の発電所での効率的な運用方法や、太陽光発電を含めた電力を安定的に家庭まで届けるための仕組み作りなどを統括・管理している。

 新城さんは、福嶺小から4年生の時に平一小に転校。平良中を卒業後、沖縄本島の昭和薬科大学附属高校に進学した。「得意分野は物理や数学だった」と話すように、近畿大学理工学部に進み、大阪大学大学院では電磁エネルギー工学を学んだ。

 城辺での思い出は、家がサトウキビ農家だったこともあり、キビの花から弓矢や刀を作って野山でチャンバラごっこをして遊んでいたことといい、当時「遊び道具は自分たちで作るものだと思っていた」と笑う。また、足が速かったという新城さんは平一小で、短距離走やリレーの選手として活躍したと、当時を懐かしむ。

 中学時代には、バレーボール部に所属し、アタッカーとしてチームを引っ張った。バレーボールを通して学んだことは「あうんの呼吸と瞬時の状況判断」と話す。「仲間との呼吸を合わせないとボールはうまくつながらない。そのためには、周りの状況を把握し行動することが何より大切なんです」と力を込める。常に状況を把握し行動したことは、その後の人生でも大いに役に立っていると話す。

 高校生から、理系の道に進み、興味のあるエネルギーの研究をしようと決心。大学では、太陽が光輝きエネルギーを放射している原理の「核融合」をテーマに研究にいそしんだ。大学院では「電磁エネルギー工学」を研究。朝から晩まで研究室にこもる日々を過ごすことになったが「毎日が楽しくて仕方がなかった」と振り返る。

 卒業後は、沖縄電力に入社した。発電所を管理する発電部門に配属され、沖縄電力初の石炭火力発電所(具志川石炭火力発電所)の建設に携わった。その後、研究開発部門では、宮古島の研究施設で風力発電や太陽光発電の制御技術について研究を行った。そこから得た技術で国内特許5件、海外特許1件を取得したという。

 台風シーズンに入った現在、新城さんは「特に今の時期は、天気図に気を配り、台風が発生した際には、停電の発生や設備への被害に備えて、各離島へ事前に職員を派遣するなど、早期の準備と迅速な復旧に向けて万全の体制で取り組んでいる」と気を引き締める。

 年に数回、宮古に帰るが、空港に降り立った瞬間に感じる宮古の風や日差しに包まれると「気持ちが和らいでほっとする」と笑顔を見せる。「昔話をしながら幼なじみと飲む酒は格別なんです」と話し、ふるさと宮古に思いを馳せた。

カテゴリー一覧

ID登録でパソコン、タブレット、スマートフォンでお手軽に!