行雲流水
2018年10月30日(火)8:54
【行雲流水】発見の喜び
「スミレはただスミレらしく咲けばいい。春の野への影響はスミレのあずかり知らぬことである。ただ、咲いているといないとではおのずから違うというだけである」と数学者岡潔は『春宵十話』に書いている
▼そして自身については「数学を学ぶ喜びを食べて生きている者で、その喜びは発見の喜びである」と語っている。発見の喜びについてはアルキメデスの場合を例にあげている。彼は、「わかった」と裸で風呂を飛びだし、喜びいさんで走って帰った。「アルキメデスの原理」着想の瞬間のことである
▼天才故の奇行ともいわれたが、岡潔は散歩の途中でも、アイデアが浮かぶと道端に座りこんで、1時間でも2時間でも木片で計算していたという。文化勲章を受章した時は、天皇に「数学は生命の燃焼だ」と語っている
▼彼は、「知や意は情の水に立つ波のようなものだ」と情緒を重視する。天才物理、数学者ポアンカレが「数学の本質は調和の精神である」と言う時の、そこに働いているのが情緒であるというわけである
▼ところで、「発見の喜び」は天才だけのものではない。子供がチョウ採取で初めてチョウを見つけるのも立派な発見である。先日の公演で紹介されたように、喜多郎は音楽と銀河の映像をコラボすることで、新しいかたちの美を発見している。一幅の絵や、俳句の一句にも何らの発見が内在しているに違いない。文化祭を終えた写真協会の集いでの話題は一言で言えば「発見の喜び」であった
▼人類は「発見」の積み重ねで文化を発展させてきた。(空)