行雲流水
2019年2月14日(木)8:54
【行雲流水】(春節考)
2月5日は、「旧正月」だった。宮古においては、昭和20年代まで新正月と旧正月の2本立てだった。婦人会が「新生活運動」を展開して、新正月1本にしぼられるようになった
▼中国では、今でも盛んに旧正月を祝っている。7日間の春節休暇があるという。大都会へ出稼ぎに出た人々が帰省する唯一の機会だ。たくさんのみやげを抱えた人々で列車もバスも大混雑。「3億人の民族大移動」などと報じられている
▼テレビ番組「上海発重慶春節帰省バス」(NHK)をみた。2日間かけてバスを乗り継ぎ、四川省の山奥の村に帰る若者を追った密着取材番組だ。そこには近代化とは無縁な、ひなびた農村の姿があった▼農村の家族や隣人は、貧しいながらも素朴でほのぼのとした雰囲気に包まれていた。都市生活者が忘れてしまった心象風景だ。〝本来あるべき姿〟だと思う一方、生活の貧しさとのへだたりに戸惑いを感じた
▼戸惑いは、感性と理性の葛藤と言い換えてもいい。文明と縁遠い村の人びとの温かさ・やさしさを〝心で感じた〟ことが感性で、理性とは、近代人が追い求めてきた「疾病と貧困の克服」など〝頭で考えた〟ことだ。個人の自由が尊重される都会では他者への思いやりが育ちにくいのか。農村には理性の光が届いていないとみるべきか
▼あれこれ考えを巡らせているうちに、テレビの画面は、再び大都会へと戻って行く若者の姿に移っていた。若者はなぜ〝自己主張のうず巻く〟大都会へ戻るのであろうか。若者の感想はなかった。貧困からの脱出であろうか。(柳)