【花は島いろ】狩俣昌也選手(30歳)/シーホース三河・主将
離島出身が強みに
【那覇支社】宮古から遠く離れた愛知県刈谷市に本拠地を置くプロバスケットボールBリーグ・シーホース三河で主将を務めるのは、平良狩俣出身の狩俣昌也選手(30)。身長178㎝と小柄ながらコートを縦横無尽に駆け回るチームの司令塔役を務め、試合をコントロールする中心的存在として活躍している
幼い頃は母親にべったりの泣き虫で、周りを引っ張っていくタイプではなかったという狩俣さん。4人兄弟の末っ子で、「ひとりで西平安名崎に釣りに行ったり虫捕りをすることが多かった」と話す。
小学校低学年の時に、兄と姉の影響でバスケットボール部に入部。先生から「シュートのフォームが綺麗だね」と褒められた事が嬉しくて、バスケットにのめりこんだ。
狩俣中3年生の時には沖縄県の大会で負け知らず。進学した興南高校では県代表選手にもなり、千葉の国際武道大学へ推薦入学した。順風満帆かと思われたが、大学のバスケットボール部が3部だったこともあり、なかなか注目されなくなっていく。
これでは夢を叶えられないと思った狩俣さん。あえて「プロ選手になる」と公言し、企業のトライアウトを受け続ける。しかし声はかからず、両親に「卒業後2年間チャンスを下さい。プロになれなかったら、何でもします」と約束して収入のない千葉のクラブチームに所属。アルバイトをしながら、条件の良いチームを渡り歩いた。
24歳の時、千葉ジェッツから「欠員が出た。契約しないか?」と声がかかった。両親と約束した2年ぎりぎりで、プロ選手としてのスタートを切った。
2013年~14年のシーズンには琉球ゴールデンキングスにも所属。「宮古出身だからものすごく応援してもらった。チームを離れても沖縄の人の応援は力になる」と感謝する。
シーズンオフには必ず仲間を連れて宮古に足を運び、時には子供たちの指導もする。「離島はプロに触れ合う機会が少ない。身体能力はあるので、もう少し指導ができればもっと上手くなるのに」と歯がゆさを感じることもあるという。
「僕は小柄だから頭を使ったプレーが必要。でもシュートを決めたりすると他の選手より大きな歓声をもらえる。弱みは強みになる。オールスターに選出されたりして、島の人たちに元気や希望を与えられたら」と顔を引き締めた。
挫折しそうになった時、狩俣さんが思い返すのは、知人から言われた「やめた方がと人は言う。できないかもと経験が言う。でもやってみようと夢が言う」との言葉。「僕は離島出身だからこそ、パワーになるんですよ」と笑った。