【私見公論】博物館資料は宮古の財産/新田由佳
市総合博物館の展示資料に「金頭銀茎簪(きんとうぎんけいかんざし)」がある。読んで字のごとく「金の頭」に「銀の茎」でできた「かんざし」のことである。目を引くのは、2本のかんざしが一つにくっついているところだ。戦前の火事で溶着したとされているが、幸いにも「獅子」と「鳳凰」の意匠ははっきりと残っている。この資料は、博物館で一番の「お宝」だと言って差し支えないのだが、その理由は、金と銀でできているという「物」としての価値の高さもさることながら、これが仲宗根豊見親の持ち物だったというところにある。
「忠導氏系図家譜正統」によると、仲宗根豊見親は天順年間(1457~1464)に生まれ、嘉靖年間(1522~1566)に没した、約500年前の宮古の豪族である。今もその名を響(とよ)ませているということは、仲宗根豊見親が建造したとされる「仲宗根豊見親の墓」を含む「豊見親墓3基」が国の重要文化財に指定され、史跡巡りや観光の名所となっていることからもうかがえる。仲宗根豊見親は八重山を平定した後、妻の宇津免嘉とともに中山(琉球)に上国した。「金頭銀茎簪」はその際に尚真王から下賜されたものだ。「家譜」には弘治年間(1488~1505)のことと記されている。
戦争で多くのものを失った沖縄において、この時代の「物」と文献が一致して残されているということは、このかんざしが琉球史を語る上でも大変貴重な資料だということにほかならない。そしてこれがいつでも博物館の常設展示室で観覧できるのは、実はすごいことなのだ。
博物館にはほかにも貴重な資料が展示されている。たとえば、「ミヤコノロジカ」や、「貝斧」、「宮古式土器」、「宮古上布」、そして宮古で起こった事柄を証明する歴史的資料。これら宮古の自然や歴史を物語る展示資料の数々は、宮古人のアイデンティティーを支えるものである。
博物館資料はコレクションされ、研究されてこそ、その価値を発揮するものであり、そのためには適切に保存されなければならない。収集された時の状態をできるだけ保ち、また破損していれば修復や保存処理を施し、場合によっては資料の復元・複製を行う。人も含めてこの世のものはすべて、老化、劣化に向かって進んでいる。しかし、女性が若さを保つために日々目尻に高級クリームを塗りこむように、博物館資料に対しても劣化を遅らせる努力が求められる。
博物館資料を劣化させる原因となるものはかなり多い。光、温度、湿度、酸素、塩分、害獣(ネズミなど)、害虫(木や紙、布などを食べる虫)、菌(カビ)などである。そのため博物館では、空調で温湿度をできるだけ一定に保とうとしている。亜熱帯の海に浮かぶ島という、資料にとっては劣悪ともいえる環境のなかで、温湿度管理には特に苦労している。また照明は少し暗くしてあるが、これも光に含まれる紫外線が資料を退色させるのを防ぐためである。亜熱帯では一年中つきものの害獣、害虫、カビを殺すために館内を一斉燻蒸するなど、年間通して専門業者にIPM(総合的病害虫管理)を依頼している。このようにして博物館では、約2万3千点もの資料を守るために努力を重ねているのである。
総合博物館は、11月に開館30周年を迎える。これを記念して、数ある収蔵資料の中から30のテーマに絞って選び抜き、「30選展(仮)」を開催する予定だ。「金頭銀茎簪」が博物館で一番のお宝だと初めに書いたが、実のところはどの資料も宮古の風土や歴史を伝える「一番のお宝」であり、その中から展示する資料を選ぶのは至難の業だった。
博物館資料は、宮古の財産である。先人たちがどのように暮らしてきたか、小さな島々である宮古諸島が、外の世界とどのような交流をしてきたのか、できるだけ多くの資料を収集、保管し、調査研究していかなければならない。資料が語りかけるメッセージを読み解いて、未来へとつないでいくために。(宮古島市総合博物館学芸係)