行雲流水
2011年5月30日(月)23:05
人類(行雲流水)
ヒトは、何ものであるか。「進化生物学」(佐倉統)によると、6万年前のネアンデルタール人は死者を悼んで、色とりどりの花を手向けたことが、イラクのシャニダール遺跡で発見された花粉の分析で分かっている
▼また、そのそばで発見された人骨の分析によると、幼少の頃に右腕を失った人が、普通のヒトと同じ程度に寿命を全うしている。当時の社会では障害のある人を助ける社会保障のようなもの、あるいは人々を助けるという意識があったことが分かっている
▼これらの人々は生・老・病・死を一体のものとしてとらえているが、現代の科学もヒトゲノム(ヒトの生命現象を支えるDNAのすべて)の解析によって、これらの現象を本質的なものだととらえている
▼そのことを踏まえて、老いも若きも、健常者も障害者も存在することが当然として、「一人一人の人間が思う存分生きることのできる社会」に必要な社会システムを「生命誌」の研究者たちは考えている
▼しかし、現実の社会はこの理想から程遠い。「新自由主義」に影響を受けたシステムによって格差は広がり、地方は疲弊(ひへい)している。また、雇用形態の多様化によって、多くの国民が生活に四苦八苦している
▼現在の進化論によると、生物はある特定の方向へと進歩していくのではなく、その場の環境に適応したものが生き残る。社会的動物である人間は、より望ましい社会システムをつくりながら、それに適応していくことで、進歩していくことができるようになるだろうか。