12/21
2024
Sat
旧暦:11月21日 先勝 己 冬至
美ぎ島net
2011年7月5日(火)23:00

戦争遺跡、平和学習の場に/県立埋蔵文化財センター 調査報告

宮古諸島は66カ所


調査報告の後、実際に壕を見学する参加者

調査報告の後、実際に壕を見学する参加者

 戦後66年経ったいま、戦争遺跡(後に戦跡)は風化の一途をたどり、山野に置き去りにされている。自然壕などは天井が崩落して危険な状態にある。沖縄県立埋蔵文化財センターは、2003~04年にかけて戦跡を調査、このほど、宮古諸島(宮古島・伊良部島・池間島・来間島・多良間島)の状況を、市総合博物館の文化講座の中で山本正昭主任が報告した。確認されている宮古諸島の戦跡は66カ所、人工壕、自然壕、構築物、建造物、碑文など。今回は「野原岳周辺の戦争遺跡群」「平良から狩俣にかけての特攻艇秘匿壕群」「海軍第313設営隊の地下壕群」の3カ所を取り上げ、今後の活用について模索した。調査報告をもとに実状を紹介する。


〈野原岳周辺の戦跡群〉

野原岳北側に掘られた無数の壕の一部で、入り口にあたる

野原岳北側に掘られた無数の壕の一部で、入り口にあたる

 野原岳は宮古島のほぼ中央に位置し、標高108㍍と、島内でも高所の一つであることから重要な司令部が配置された。1945年2月に独立混成第45旅団の司令部とそれを守備する施設や監視所、避難のための壕などが数多く掘られた。調査によると壕は38カ所あり、野原岳北側のふもとには雑木に覆われた壕の跡がひっそりとたたずんでいる。
 市総合博物館、学芸員の久貝弥嗣さんに案内してもらい、壕に入った。平良砂川線を途中から野原岳ふもとを目指す。鎌で雑木を切り払いながら進む。足にからまるツタやクモの巣をかき分け壕の入口を探すこと約20分。ようやく見つけた壕の入口は草で覆われている。中には入口が分からなくなった所や、中で岩の崩落が進んでいる個所など、意識的に探さなければ分からない状態で存在する。
 1944年10月に建設された旧日本陸軍中飛行場を守備するための施設は、大嶽城跡公園の西側に配置されていた。壕の周辺では、現在採石が行われており、すでに消滅した壕も多数あるようだ。

〈特攻艇秘匿壕群〉

 戦況が厳しくなる中、1945年初旬から米軍上陸を想定して平良港から狩俣にかけて特攻艇の秘匿壕が数多く構築された。当初、特攻艇をこれらの秘匿壕に配備させる予定だったが、結局、配備前に終戦に至ったことで未使用のまま放置されることとなった。ほとんどの壕は、天井、壁面のつくりが粗雑で、海食洞をそのまま利用したと思われる壕もある。内部には台車を載せていた線路の痕跡もある。
 対象となる戦跡は、荷川取海岸秘匿壕跡群、ウプドゥマーリャ特攻艇秘匿壕群、パイナガマ南のトゥリバー浜特攻艇秘匿壕群、久松の大浜の特攻艇秘匿壕群、狩俣のヌーザランミ特攻艇秘匿壕群など。

〈海軍設営隊の地下壕群〉

 市熱帯植物園と宮古青少年の家の敷地内に、北西から南東方向に向けて伸びる丘のふもとに34カ所の地下壕がある。これらの壕は、陣地設営のために旧日本海軍313設営隊が1944年10月から構築を始めている。壕の入口は一直線状に掘り込まれているものと、内部が分岐して出入り口を複数個所有しているもの、内部が複雑に分岐して小部屋が設置されているものと、およそ3種類に大別することができる。
 中でも、青少年の家の敷地内にある壕は、総延長約400㍍と、宮古諸島でも最大限を有しており、壁面、天井のつくりが極めて精緻な部分もみられる。

〈その他の戦跡〉

(1)自然壕を利用した壕で主に住民の避難壕
 ▽人工壕=伊良部島の国仲の避難壕・佐良浜の避難壕、平良白川井の地下壕。
 ▽自然壕=上野のトゥクルアブ・来間島のチフサアブ・宮古南静園のヌストゥガマ・多良間島のシュガーガー・ウスヌカー・塩川御嶽のトンバラなど。

(2)単独で存在する戦跡
 ▽平良のパイナガマビーチの銃眼跡・ヌーザランミ特攻艇秘匿壕・宮古南静園の重火器抱壕・久松の機関銃壕・来間島の山砲陣地壕・伊良部島牧山の陣地壕など。

(3)内陸側の丘に広範囲に配置される地下壕=二重越の地下壕群・城辺東保茶根・アーリヤマ(城辺長山)の戦跡群・ミルク嶺(城辺西城)の地下壕群など。

(4)国威高揚のための記念碑=福里公園の忠魂碑・伊良部の忠魂碑・ツヌジ御嶽の忠魂碑・池間国民学校の奉安殿など。

〈活用についての模索〉

 唯一地上戦が展開された沖縄県は、戦跡を広く平和学習の場として利用してきた。とはいえ、遺跡としての整備、活用が図られているかといえばあまりそうでもない状況がある。県内だけでも文化財として指定されている戦跡は15件(そのうち宮古が1件)となっている。それらもすべてが市町村指定で、国、県指定は皆無。調査にあたった県立埋蔵文化財センターは「戦跡に関してほとんど手つかずの状態である」として、「戦跡は、太平洋戦争、沖縄戦を知るうえでの一級資料、それらを保存、活用していく上で戦争遺跡に対する明確な位置づけを行っていく必要がある」としている。

カテゴリー一覧

ID登録でパソコン、タブレット、スマートフォンでお手軽に!