企画・連載行雲流水
2011年9月13日(火)8:55
教科書問題(行雲流水)
子どもたちの教育には、真実が記述された教科書が使用されなければならない。しかし、政治的な思惑が絡んで、ことはそう単純にはすすまない
▼敗戦までの教科書の変遷は『日本教育の源流』(石川松太郎監修)に詳しい。例えば、「文永・弘安の役」について、第一期国定教科書(明治36)では、元軍(げんぐん)敗北の原因とされる暴風について単に「大風」とあったものが、後の『尋常小学国史』(昭和9)では「神風が吹き」と変更された。南北朝問題についても、「同時に二天皇あり」と書かれていたものが、南朝を正統とするように変更された。「万世一系」の天皇観の徹底のためである
▼「富士は日本一の山」とあった富士山も「たふとい山、神の山、日本一のこの山を、世界の人があふぎ見る」と八紘一宇(はっこういちう)的に解釈された
▼このような、神国思想と忠君愛国思想に基づく教科書は戦後否定され、平和と民主主義、主権在民を理念とするものに変わった
▼しかし、元東京教育大学の家永三郎教授の執筆した日本史教科書が、戦争の扱いが暗すぎるという理由で検定に不合格にされたが、最高裁で勝訴、文部省検定に誤りがあることを認めさせるのに32年かかった。大江健三郎・岩波裁判では、「沖縄戦で渡嘉敷島・座間味島の700人の島民が軍の関与によって集団死した」という記述に対して訴えがなされたが、大江・岩波側の勝訴が確定した。今、この線に沿った教科書の沖縄戦に関する記述の改善が求められている
▼何よりも、教師には真実を教える力量が求められる。