行雲流水
2011年10月19日(水)22:45
派閥(行雲流水)
テレビの討論番組を見ていると、つい〝おもしろい〟と思ってしまう。白を黒と言いくるめる政治家の討論は〝さすが〟だし、評論家の言いたい放題にも〝なるほど〟となりがち。だが、放射線の危険度をめぐる科学者の見解が分かれるのは不可思議だ
▼ガリレーは、権力や世論に媚びずに「それでも地球はまわる」と言った。現代の科学者は、学問以外の配慮要素を多分に抱え込んでいるのだろうか
▼各分野に〝学説〟はある。定説になる前の諸説のことだ。規律正しいハズの法律の世界でさえも諸説紛々、判例集は手放せない。人間の営みは、自然の営みに比べて解釈や選択の幅が広いからであろう
▼そのためかどうか、人間社会では「閥」を作りたがる。閥の語源は家を中心とする門閥だが、明治の頃には藩閥が生まれ、これに対抗するために学閥ができた。出身地や身分に関係なく、広く人材を募って学問をさせ、各界への登竜門をつくった。戦前は軍閥や財閥が幅を利かし、現代でも政党派閥は花盛りだ
▼イデオロギー(特定の歴史的・社会的基礎に制約された考え方の型-「日本語大辞典」講談社)はいろいろあっていい。しかし、放射線〝シーベルト被告〟に限っては「疑わしきは罰する」のが正しい選択ではないだろうか。なぜなら、その影響は数十年後に現れるし、現在の知見はその見通しに耐えられないと思われるからだ
▼テレビ討論は流れが速く、視聴者は呑み込まれがちだ。その点、活字メディアは、読者に考える時間の余裕を与えてくれるのでは。