TPP(環太平洋経済連携協定)について(上)/砂川 光弘
私見公論⑧
去る3月11日、サトウキビの収穫終了。親族集まって「サトウキビ収穫終了祝い」を行っていた。叔父や兄弟も今期のサトウキビは反収品質も良く、気分的にも最高に盛り上がってほろ酔い気分になっていた。
その時、突然、孫から電話。「地震が起きてとても怖かった。お父さんはまだ帰っていない」その電話で初めて「東日本大震災」を知り、テレビのスイッチを入れ、愕然とし言葉を失い体が震えた。
日本のみでなく全世界まで激震させた「東日本大震災」、自らの死を顧みず市民の避難を呼び掛けた市町村職員、公務で家族の安否が確認できないのに職責を全うし、その後、職を辞して今でも家族を捜している元自衛隊職員、職員を避難させ組合員の重要書類を守ったJA職員、両親を亡くして泣き叫ぶ子供等、テレビの前での映像を見ても、何もできない自らのふがいなさを全国民が痛感したことである。
政府も地震発生後、直ちに菅総理大臣を長とする緊急災害対策本部を立ち上げ、全政府機関を動員し被災者の捜索・救助やライフラインの復旧等に取り組んできた。併せて世界各国からの支援の申し出も相次いだ、外務省によると163の国・地域および43の国際機関から支援の申し出があったとのことである。(平成23年9月15日現在)
その中でも、東南アジアで最も貧しい国「東ティモール」からも支援の申し入れがあった。国内はもちろん海外で活躍するスポーツ選手や世界的に著名な音楽家等、あらゆる分野から日本に対するエールや義援金が届けられた。中でも内戦による地雷源の村「カンボジア」からの義援金とお守りには感動した。死者約1万6000人、負傷者約6000人、行方不明者約3700人、避難者数6万6000人等々、かつて経験したことのない大被害をもたらした東日本大震災を契機に、日本人としての再認識と絆が強まり、新たな日本の黎明を感じた。
一方、国会においても被災県の復興に向けての論戦が活発に展開された。しかし、結果として菅内閣の退陣と野田新内閣の発足であった。私のような庶民には国会の高次元のやりとりは想像もつかないが、醜い国会劇場に幕を下ろして今こそ日本のトップリーダーが一丸となって生産基盤・生活基盤を全て失い、寝食も忘れて必至に生きようとしている被災者や被災地の速やかな復興を最優先に取り組む必要があるのではなかろうか。
さて、前置きが長くなってしまったが、野田内閣がスタートして再び日本を震撼させたのがTPP(環太平洋経済連携協定)交渉への参加表明である。10月17日野田総理は「高いレベルの経済連携は日本にとってもプラスである」として積極姿勢を鮮明にした。
それを受け、与党のみならず野党第一党の自民党も党内は割れ、日本を開くか、閉ざすかの極論のぶつかる大論争が起こっている。
福島原発で見られたように情報を迅速かつ的確に開示しない、揚げ句の果てには正当化するためのやらせまで行われる。今回のTPP交渉参加表明も具体的な政策は提示されず見切り発車である。菅前総理が昨年の月にTPP交渉への参加方針を表明した。その間、日本の将来のあるべき姿を展望し、TPP参加により懸念される産業分野への具体的な政策方針を提示した上でのTPP参加表明であれば新たな視点での議論へと発展したであろう。
シンガポールのような小国が集まって作ったルール(TPP)に経済大国である米国や日本が参加する意義は何なのか。そのメリット、デメリットについて内閣府、農水省、経産省の見解が割れているのはなぜか。今、政府に求められているのは性急な参加表明の前に政府内の統一見解と具体的な政策の開示である。