芸術って何だ?/仲間 伸恵
私見公論 45
芸術とは何かなんて、たいそうなことを、思い切ってちょっと考えてみましょう。
美術系の学校を選び、仕事としてもずっとそのような道を歩いてきたにもかかわらず、「芸術」という言葉を使うことを、いつも気恥ずかしく思ってしまうのはなぜなのでしょう。偏見かもしれないけれど、世の中にときどき存在する、芸術だアートだと言えば何でも許されると思っているような傲慢な感じが嫌なのと、なんだか大げさな気がするからというのもありますが、本当の理由は、自信がなくて、その言葉に対して自分自身が真摯に向き合うことを避けてきたということなのだと思います。
芸術といえば、美術、工芸、音楽、舞踊、演劇、映像などの、さまざまな芸術作品を思い浮かべることが多いと思います。しかし「芸術は爆発だ!」でお馴染みの、あの岡本太郎さんは「芸術とは生きることそのものだ」とも言っています。狭い意味でアート作品に限定せずに、人生のよろこびこそが芸術だというのです。芸術が、生きることそのものだとするならば、誰ひとり芸術と無縁な人はいないということになります。彼が言うように、生きるよろこびが「芸術」で、その表現されたものが「芸術作品」だとするなら、ひとは誰でも芸術作品を創り上げながら生きているというわけです。少なくとも、芸術的なものへの衝動は、人間のなかに本能のひとつとして確かに存在していると思います。世界中どんなところでもいつの時代にも、ひとは必ずその衝動に従って何かを創りだし、生きるよろこびを追いかけてきたのでしょう。
実は、私はこっそりと、芸術とは「現代に残された最後の魔法」ではないかと思ったりしていました。感動させたりびっくりさせたり、うまくいけば幸せな気持ちにさせたり、涙を流させたり。芸術の力で、ひとの心を動かすことができるのです。魔法のようだと思いませんか?
私にとって作品を創るということは、自分の内と外から、眼には見えない「気配」のようなものを感じとり、それを「眼にみえるかたち」にすることなのだと思っています。うまく感じとってうまくかたちにするのは、とてもむずかしいことなので、なんとか芸術の魔法の力を身につけて、すごい魔法をかけられるりっぱな魔法使いになりたいとあこがれているわけです。問題は、どうすればその魔法の力を身につけられるのかということで、当然それは簡単なことではありません。
美術を学ぼうとしはじめた学生時代には、どうやって勉強したらいいのやら、それこそ何が解らないのかも解らないような状態で、ただむやみに背伸びをして、本質とは何かとか、普遍性だとか必然性だとか、ややこしいことを必死で考えたりしたものです。思う存分悩んでいられる若い頃に、そんな時間を持てたことは、とても幸せなことでしたが、悩んだ甲斐があったのか無かったのか、あいかわらず今も魔法使いになりたくて修行中、といったところです。
ほとんどのひとの人生において、芸術だなんだと特に考える必要はないのでしょう。ややこしく考えなくても、どのひとの人生も、いつのまにかダイナミックで芸術的な、唯一無二のものになっていくのですから。それよりも、小難しいことをいう「芸術家」に出会ったときに、「芸術」というたいそうな言葉の響きに惑わされず、ほんとうに大切なことを自分自身で敏感に感じて選び取れるような「直感力」を磨いてさえいればいいのだと思います。
「芸術って何だ?」なんてテーマは、やはり無謀な挑戦だったでしょうか。それは「人生とは何ぞや?」と言うのと似たようなものなのかもしれません。