行雲流水
2012年11月7日(水)23:35
「情報の氾濫」(行雲流水)
機械文明のいちじるしい発達がもたらした多種多様な産物によって私たちの日常は確かに物豊かで利便性に富んだ生活へと様変わりした。しかし次から次と生みだされる産物に付随してくる「観念」をことごとく主体的に咀しゃくして理解することは容易ではない
▼殊に新聞・ラジオ・テレビ等のマスメディアによって手を変え品を変え四六時中押し寄せてくる〝情報の氾濫〟は気長に理解する時を与えない
▼その結果目まぐるしく変化する大量の情報にすっぽりつつまれて暮らす私たちは時として情報が編みだす世の風潮や流行の波に乗りおくれまいとする焦燥感にかられ自分自身を見失ったりしている
▼そして自己の内面的価値規範に基づいて行動するよりもマスメディアを介して一方的に送られてくる画一的な考え方や感じ方に依存することによって時代の波から遅れることなく自己を保ち周囲との連帯も保っているという錯覚に陥ったりする
▼識者は指摘する。世の動きや流行や仲間の意向を敏感にとらえて同調する、言いかえると〝他者の視線〟に合わせることを是とする「他人指向型」(デビッド・リースマン/米国の社会学者)世代が今やわが国の多数派になりつつあると
▼多種多様な情報をよりよく吸収して養われるはずであった因果整合性のある科学的思考力や批判的精神は後退。かくて世は物事を無批判に容認するといった「マスコミの逆機能」に陥り、東京・大阪ではマスコミの逆機能に乗じた著名人が歯に衣を着せない辛辣な発言で飛ぶ鳥を落とす猛威をふるっている。