高校生民泊で地域に活気/池間・狩俣
関西などから4000人“入村”/「子、孫が遊びに来るみたい」
池間島と狩俣地区で高校修学旅行生の民泊受け入れが2012年度から本格的にスタートした。6月から3月までで関西を中心に14校、約4000人の受け入れを予定している。受け入れ農家が農業以外で収入を得られるというメリットのほか、自分たちの子や孫の年代に近い高校生が来ることで、高齢者の多い地域が若返り、元気になるという効果も出てき始めている。
池間・狩俣地区での修学旅行民泊は、宮古島観光協会が高校と調整する窓口となり、地域の農家の取りまとめは池間では福祉事業所の「きゅーぬふから舎」(前泊博美代表)、狩俣では購買店を運営する「狩俣マッチャーズ」(池間等志社長)が行っている。
両地域で12年には、岡山県の岡山城東高校320人から始まり、9月には山口県の田布施農工高校160人、10月には大阪府から香里ヶ丘高校、長尾高校、河内野高校の計約800人、11月は滋賀県石山高校380人、12月には滋賀県の八幡工業高校、大阪府の淀川工科高校と山田高校、兵庫県の西宮東高校から計約1200人を受け入れた。
池間では12年12月現在、38軒の農家らが受け入れを行っている。与那嶺正さん(81)ヒデさん(77)夫妻も12年度から高校生の民泊受け入れを始めた。「普段は2人暮らしなので高校生が来てくれるとにぎやかになる。内地から孫が遊びに来たみたい。出会いが楽しい。島全体がにぎやかになる感じがする」と笑顔を見せる。
最初は少し遠慮がちな高校生も一緒に夕食を食べたり、いろいろと話をするうちに打ち解け、2泊目には家族のような雰囲気になり、食事時、ご飯のお代わりは自分でよそうようになる子や後片付けを手伝ってくれる子もいるという。
ヒデさんは「こんな小さな島に喜んできてくれてありがたい。食事は少し気を遣うが、おいしいと食べてくれるとうれしい。1泊だけでも名残惜しがって『もっと居たい』泣いてしまう子もいる。健康なうちは受け入れを続けていきたい」と語った。
狩俣では18軒が受け入れ。當豊助さん(63)愛子さん(64)も高校生民泊の受け入れを楽しみにしている農家の1軒。豊助さんは「最初は不安もあったし抵抗もあった。難しい子がいたらどうしようかと思ったりもしたが、受け入れてみると実際は良い子ばかりで楽しい。自分の子どもを育てていたころを思い出して若返った気になる」と受け入れて良かったとの思いを語る。
一緒に過ごすのは2、3日程度だが、豊助さん愛子さんを、お父さんお母さんと呼ぶようになる子も多いという。「子どもが増えたような感じ。だから帰るときにはやっぱり寂しい。子どもたちが泣くと、こちらももらい泣きをしてしまう」という。
民泊の受け入れを始めて生活が変わったと感じているという當夫妻。「いろいろな子と出会える民泊は楽しい。気分的にも若返る。不安に思う人もまだいると思うが、もっと多くの農家が受け入れをするといいと思う」との考えで最近は周囲に民泊の楽しさを伝えているという。「将来、民泊で来た子が社会人になって再び遊びに来てくれる日を楽しみにしている」と話す豊助さん。成長した“わが子”が帰省して来る日を心待ちにしている。
「きゅーぬふから舎」の前泊代表は「高齢者が民泊を受け入れることで、自分の役割を見つけ、もっと頑張れるという生き甲斐を持つようになった。受け入れの時には平良などで暮らす子どもたちが手伝いに帰って来るので、家族の絆も復活している。民泊受け入れが地域おこしの一環。民泊でコミュニティーを再生し、高齢者が笑って楽しく暮らせるようにできると思う」との考えを示す。
「狩俣マッチャーズ」で民泊を担当する根間徹さんは「受け入れ後、極端な変化はまだないが、地域内や購買店で高校生を見かけることも多くなり、少しずつ浸透してきている。受け入れにまだ不安を感じている人もいるとは思うが、もっと受け皿を増やしたい」との抱負を語った。
観光協会の池間隆守専務理事は「高校生民泊は、目に見えない効果もあり地域活性化につながっていると思う。良い思い出があれば、また島のおじいやおばあに会いに来てくれるはず。民泊で来た子には将来、大人になって宮古島のリピーターになってほしい」と民泊が宮古島のファンづくりに貢献してくれることに期待を寄せる。