ふるさとに文化交流の橋/八重山在宮古郷友会
ミャークフツ・ブドゥス・アーグの夕べ
戦後、琉球政府は焦土と化した本島の復興に、広大な自然を有する八重山諸島への計画移住を実施した。1952年から57年にかけて政策として行った入植は、世帯数762戸、人口にして3253人、集落は23にも及ぶ。一方、自由移民は59年を最後に449世帯2106人、集落数は21といわれる。宮古からの移住はほとんどが自由移民で、西表島や裏石垣に集中、未踏の密林に分け入り、山野を切り開き、農地を造ることから始まった。空腹とマラリア、毎年やってくる台風、こうし
た苦悩と困難を団結と忍耐によって克服し今日の生活を築いた。今では二世、三世の代に変わり、新たなふるさとづくりが展開されている。
郷里のミャークフツを思い起こすことで、生まれ島の伝統文化を再確認し、宮古・八重山の文化交流の架け橋にしようと6日夕、石垣市民会館で初の「ミャークフツ・ブドゥス・アーグの夕べ」が開催された。八重山在宮古郷友会(宮國恵慈会長)が、昨年創立20年を迎えた記念の事業として取り組んだ。会場に詰めかけた多くの郷友たちは、宮古民謡の歌や踊りを堪能、懐かしいイントネーションのミャークフツに涙をこらえながら爆笑、島ことばのもつユーモアと豊かさに惜しみない拍手を送っていた。
砂川純一副会長は開会のあいさつで「郷里の言葉を今一度見直し、若者たちにもその良さを伝え継承していくとともに、この大会を八重山と宮古の架け橋にしていきたい」と述べた。祝辞で石垣市の漢那政弘副市長は「宮古はアララガマ精神があり、団結力が強い。八重山にとってはけん引力となっている」と話した。宮古島市の下地敏彦市長は「島言葉を忘れたら親も忘れるという言葉がある。古里のことを語り継ぐ良い機会にしてほしい」とメッセージを寄せた。
石垣市の石垣久雄文化協会長は「生活の中から消えつつある島言葉を取り戻そうという気運が全県で取り組まれている。各郷友会にとっても、文化交流として大切なこと」とのあいさつを八重山言葉、宮古言葉、日本語の3バージョンで語り笑いを誘った。宮古島市文化協会の下地昭五郎副会長は「インターネット、IT産業のツールで中央発信の文化が中心となる中、若者たちの方言離れが顕著となる。今回の取り組みは意義深く、時宜を得たもの」とあいさつ、今後お互いの文化交流につなげたいと述べた。
第一部は、歌と踊り。女性部による舞踊「トウガニアヤグ」で幕開け、「仲立てのミガガマ」「ななますぬぐー」と続いた。歌では今村重治さんを中心に「伊良部とうがに」「家内和合」など、しっとりとした宮古民謡のメドレーで聴衆を魅了した。第二部のミャークフツでは、最初に狩俣出身の国仲定夫さんが「移民の頃の話」と題し、入植当時の苦労話を笑いを交えながら語り、会場を和ませた。
平良郷友会の前里寛さんと狩俣健一さんは、方言漫談で宮古のことわざなどをおもしろおかしく紹介した。宮古から招待された天久宏さんと来間清典さんは、それぞれの乗りで会場を沸かせ、抱腹絶倒の聴衆で会場は笑いの渦となった。フィナーレでは、出演者全員でクイチャーを踊り、ふるさとを満喫した。