歌三線で心をひとつに/さんしん(3月4日)の日
民謡でつなぐ先人の熱い思い
沖縄芸能文化の原点「三線」は、今や気軽に入門することができることから、子どもたちや高齢者まで人気があり、教室も増えた。県内では歌三線でみんなが一つにつながることを願って3月4日の語呂合わせで「さんしんの日」とした。今年21回目を迎える「さんしんの日」は、沖縄宮古民謡協会(天久勝義会長)の創立40周年記念行事で行われた「とうがにあやぐ」歌碑建立除幕式に合わせ、郷友や宮古民謡保存協会(友利元誠会長)、宮古民謡協会(川満健功会長)の合同演奏がカママ嶺公園で行われ、園内に歌三線の哀調を帯びた音色が響いた。この日は、方々の教室でも三線を楽しむ風景が展開された。
第21回「ゆかる日 まさる日 さんしんの日」(主催・琉球放送ほか)は、全国各地で周知され、今では身近なものとなった。また昨年11月、三線が県伝統工芸品に認定されたことから沖縄を代表する楽器として、また精神文化を象徴する工芸品として評価されている。
三線のルーツは赤犬子といわれ、500年前、歌三線の始祖ともいわれる吟遊詩人によって流布した。折りに触れ、即興の歌を手製の三線(クバの葉の茎で棹を、幹でボディを、馬のしっぽを弦にして作った)で優れた歌を作ったと伝えられている。
宮古民謡は、以前は手拍子で歌われており、三線が入ってきたのは100年前だといわれている。楽譜の工工四(クンクンシー)は18世紀ごろ、琉球古典音楽の演奏家だった屋慶比朝寄(1716-1775)が当時の中国で使われていた工尺譜などを参考に考案したといわれ、その後、三線が普及した。
現在、宮古民謡協会は、理事役員20人、教室が11カ所、生徒数が100人余といわれている。最近会長に就任した川満さんは「宮古民謡の向上は、宮古のPRにもつながる」と話し、普及発展に期待を込める。
宮古民謡保存協会は、理事役員20人、教室が12カ所で生徒数が約120人。友利会長は「各教室には本土の皆さんが増えた。地元の皆さんには自分の大切な文化だという誇りをもってほしい」と話す。
「さんしんの日」の由来
キャッチフレーズの「ゆかる日」は、佳かる日(めでたい日)、「まさる日」は優る日・勝る日の重ね言葉。生みの親は前琉球放送ラジオ放送部局長の上原直彦さんで、沖縄中をひとつに出来るものはないか考え、長年の構想を実現させた。発想はラジオの時報音だった。1992年の第1回から、公開生演奏(午前11時45分~午後9時まで)を展開、時報音は正午から午後8時までの9回で「かぎやで風」を演奏するというもの。これまで、沖縄県内だけでなく、福岡、長野、大阪、神戸、名古屋、神奈川、東京、札幌、ハワイ、シカゴ、ブラジル、ロサンゼルス、南アフリカ、インド、フランス、北京、タイ、上海、ドミニカ共和国など電話で各国をつなぎ交流している。