地域の愛に包まれて大人になった僕の夢(3)/濱元雅浩
私見公論66
今回は少し切り口を変えて「なぜイギリスで産業革命が起こったのだろうか」という問いから話を始めてみたい。18世紀の終わり頃には、農業生産性の拡大によって中国の揚子江下流地域や日本の畿内地域もイギリスと遜色のない先進地域となっていて、どの地域でも産業革命が起こる可能性はあった。にもかかわらず、実際の産業革命の舞台はイギリスだった。それはなぜか。その問いに経済史家のケネス・ポメランツは「ただの偶然の連なり」だと結論づける。キョトンとするが、なんかワクワクもする研究結果だ。
当時、欧州も中国も日本も経済発展に伴って、燃料資源として木材が大量に切り出され、急速に禿げ山化が進んでいった。この頃すでに石炭の存在は知られていたが、燃やすとススが出ることなどで「汚い燃料」としてほとんど利用されていなかった。それでも木材がなくなったので「しょうがなく」石炭を使うしかない。すると、ここで急にイギリスの優位性が高まることになる。中国と日本は石炭の産出地と消費地が離れていて輸送コストも高くついた。それに比べてイギリスはロンドン近郊で、地表を少し掘るだけで簡単に石炭が入手できた。この地理的要因をポメランツは「ただの偶然」と評した。
そして、採掘の際に出る地下水を吸い上げるために素人仕事でつくったポンプシステムがヒントとなって蒸気機関技術が生まれ、蒸気機関車にまで展開。石炭は高熱を持続できるので木材では不可能だった「鉄の大量生産」をも可能にした。つまり地理的な「ただの偶然」に、斬新なアイデアとチャレンジが「連なった」ことで新産業システムはイギリスで構築され、世界を席巻できた、と論じる。
話は21世紀に変わって-。これまで途上国の課題解決には、先進国から必要(であろう)なモノを提供するのが主流だったが、「単にコンピューターを送るよりもコンピューターを『つくる手段』を与えたほうが良いのではないか」と問い、「子供たちにも科学を『実践する』装置を与えるほうが良いのではないか」という視点が世界中に広がっている。
その動きはマサチューセッツ工科大学のニール・ガーシェンフェルド教授の「(ほぼ)なんでもつくる方法」という講義から始まった。まずはカッティングマシンや三次元プリンターなどの高価なデジタル工作機械を市民で共同利用し、個人による自由なものづくりの可能性を広げることを目的に世界中に実験工房を展開していく。そして世界中の工房が情報をオープンにし、ネットワークでつながることで「全世界の発明データを活用して、現地でモノを製造して、課題解決に役立てる。現地の人々が主体的に問題に取り組むことができ、持続的な問題の解決につながる」という。これまたキョトンとするがワクワクする企画だ。
地域や個人の抱える課題はさまざまで、すべてに対応するには膨大なコストが掛かる。ならば、困っている地域の人々が自らの必要性や欲求に対応したモノを自らつくり出せる環境を整備するほうが良い。「必要性とチャンスが結びつくと、人はテクノロジーの主役になれるだけではなく、テクノロジーの開発の主役も担える」と教授は言う。
このように、近代期は地理的条件が発展の優位性を大きく左右していたが、現代は情報通信技術の発達によって地理要件のハードルは格段に下がっている。つまりポッカリと海に浮かんだ小さな宮古島でも、「(ほぼ)なんでもつくる」実験工房を整備して、子どもから専門家までが集って、世界とつながりながら自由にものづくりに楽しみながらチャレンジすることで、個々の自己表現は格段に飛躍するだろう。そのうえで、個々のアイデアを育成し、整理し、保護して、経営チームを編成し、ビジネスモデルを構築するなど、産業革命時に起きた「連なり」が地域に生まれれば、世界を席巻するまではいかなくとも、地域は元気になるだろうとワクワクしてくる。