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人生雑感
2013年3月30日(土)21:40

人は一人では生きていくことはできないが、人は一人になるときに

日本親業協会親業インストラクター/福里 盛雄

 

 

1 人は、成長するために、一人になるときが必要です


 人間は、社会的動物だと言われているように、人は一人では生きていくことができない存在です。人間は人として生まれて社会生活を営んでいく過程で多くの人との間に関係をつくり人間になっていきます。その人間関係を正しい幸せな関係にするためには、個々の個人が心身ともに成長していることが大切です。人が心豊かに成長するためには、人は一人になることが必要です。一人になったときに、自分と向き合うことが可能となり、自分と対話ができ、自分の心を静かに観察することができます。多弁で、忙しく動き回る人々の集団の中では、自分と向き合い自分と対話する心のゆとりはありません。自分一人のときこそ、周囲に心を向ける余裕も出てくるのです。


 人は、自分一人になるとき、静寂さを感じます。その静寂さこそ、今の社会が見失った大きな宝物なのです。機械文明の発達により多くの情報の中で生活をしている私たちが、自分一人だけ、心の静寂さの中で過ごすことは困難と言わなければなりません。しかし、一人での居場所をつくり出す努力をしなければなりません。

2 自分一人のときの心の静寂の持つ効果

 

 私たち人間は、社会的共同生活を営むことを、基本的欲求の一つとして創造されています。ですから、人が共同生活から長期的に分離して生きていくことは、人間としての本質を失う危険性が生ずると言わなければなりません。その点と矛盾するようだが、また、あるときは一人で静寂な居場所に生きることも、必要不可欠なことです。人は、一人のときに物事の真実に心を集中することができます。


 社会的に偉業を成し遂げた多くの偉人たちは、故意に一人の寂しい居場所を求め歩いたことが理解できます。俳人である松尾芭蕉は、一人の静寂さの中で「古池や 蛙飛びこむ 水の音」という俳句を残した。引力の法則は、科学者であるニュートンが、リンゴの地上に落ちるのを観て引力の法則を発見したのも、静かに一人でいたときだったに違いありません。音楽家も、作詞・作曲をするときは、自分一人だけの居場所を必要とします。哲学者もその論理を深め、その考えを体系化するためには、静かで一人きりの寂しい居場所を必要とします。宗教家も同じで、神に対する深い祈りを捧げ、神のみ心を悟るためには、一人で寂しい場所で、心を集中して全力をふり注いで祈るのです。

 このように、人が一人になることは、人間が社会的存在であることと矛盾するようにも考えられるけれど、あるときは、孤独の状況の中で、本当の自分と出会う機会を得ます。

 ですから、周囲から取り残されてひとりぼっちにされたときは、それを恐れてその中から逃げ出すことをしないで、その機会を自分の人間的成長のための心の試練の場と心から受け入れる必要がある。自分に与えられている賜物は何か、それをどのように社会の人々の幸福のために役立てるべきか、今の生き方を吟味し、よりよい方向へと転換しなければならない。そのような生き方こそ、その寂しさを意味あるものとすることができるのです。

 今日の社会は、一人寂しい場所に止まって考えることを許さないほど騒々しくなった。今の社会は、一人で心静かに思索する機会を減少させていると言える。その反面、人間関係が希薄化した社会でもある。私たちは、今の社会が忘れている一人でいる心の静かさを回復し、自分の人間性を豊かに養成する機会をつくる努力をしなければならない。

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