事実と真実との間には大きな距離がある、それが人を幸せから遠ざける
日本親業協会親業インストラクター 福里 盛雄
1 事実と真実との距離
事実とは、表面的に見える部分で誰の目にもはっきりと映る現象である。真実とは、事実をつくりだしている背景的理由付けられた現象であると言えるのではないか。
多くの人は容易に事実を見ることはできるのでその事実だけで、その人を評価します。その事実の背後にある真実を見落としてしまいます。そこで、事実と真実の間には大きな距離ができ、事実だけでその人を価値判断し、人間関係を処理することがどれほど深みのない浅薄な思考であることの例を挙げましょう。ある女生徒が、毎日遅刻して登校してくるのでクラスの者皆がこの生徒は時間的にルーズではないかと考えるようになった。その女生徒が遅刻して登校するのは、誰の目にもはっきりと認識できる事実である。ところが、父親は受刑者となり、母親は家を出ていなくなったので、この女生徒は母親代わりとなり、朝早く市場でアルバイトして、小学生の妹と弟を学校に行かせてから自分はそれから登校するので、どうしても遅刻せざるをえない。彼女は時間的ルーズな性格ではなく、どうしても遅刻せざるをえない理由があり、これが彼女の真実な姿であったのです。
また、ある精神科医院に一人の患者が精神的悩みについて相談にきました。その精神科の医師は、その患者をその悩みから解放してあげたいといろいろと元気の出る話をしました。そして、丁度、適切な具体的例話として、あのサーカスを楽しく盛り上げる役目をするピエロの話をしました。「あのピエロのようにいつも明るくひょうきんな態度を見習いなさい。そうすれば、あなたの悩みも吹っ飛んでしまいますよ」と精神科医は真面目に話しました。その話を聞いていた患者は、「実はあの人気者のピエロが私なのです」と言ったというのです。(工藤信夫「よりよい人間関係をめざして」25頁以下参照)。
2 その人の真実を見抜く心の目を
私たちは、人間として生まれた以上、他人と没交渉では生きていくことはできない。その人が本当に幸せな生涯を過ごすことができるか否かは、他人との人間関係の善し悪しに大きく関わっていると言っても過言ではないのです。人間関係の善し悪しは、その人が相手をどのような存在として理解するかにかかっています。ただ表面的事実だけでその人を価値判断するか、その事実の向こう側にあるその人の生きている真の姿を見抜く心の目を持って、その人の心の奥底にある生きる苦しみ悩みを共有できる優しさで、その人を考察できるかです。私たちは、その人の表面的態度によって、その人の人となりを判断し、つきあっている中にその人に対する価値判断が間違っていたことに気付く場合が多いのではないでしょうか。その度に、私の目は何をみていたのか、とその頼りなさに失望したりします。
世の多くの人は、他人の表面的事実によって、その人の人となりを判断し、その判断を土台にして、その人と人間関係をつくっていきます。そして、一旦つくられたその土台を変えようとはしないし、変えることも難しいのです。ですから、最初の人の善し悪しを判断するには慎重でなければなりません。
その表面的事実による価値判断によって、よい人間関係がつくれず、自分と他人を不幸にすることはどうしても避けなければなりません。そのためには自分の内部に流れて尽きない他人を包み込む愛を備えていることが不可欠ではないかと考えます。