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人生雑感
2013年5月1日(水)21:50

子どもはしつけによって良い人間に成長するが、虐待は子を滅ぼす

日本親業協会親業インストラクター 福里 盛雄


1 子のしつけは歴史や文化の違いによって変化してきた

 その社会が緊張した厳しい社会であれば、子のしつけに対しても、厳しさが要求されてきました。また、その社会の文化が、個性を尊重する風潮であれば、子のしつけに対しても、子の個性を尊重して自由放任主義の傾向を示します。


 しかし、人間の本質は、子どもであっても歴史や文化の変遷によって変化するものではないと考えます。問題は、人間の本質を生まれながらにして善と考えるか、この見解を性善説と称します。それとも悪と考えるか、この見解を性悪説と称しています。そのいずれの見解に立脚するかによって、子のしつけに対しても見解を異にせざるをえません。

 人の性格は、その人の生まれながらに有するものと、生後の生活体験とによって形成されます。いかに良い性格を持って生まれてきても、その後の生活体験によって、天使のような性格の人間に成長したり、悪魔のような人間になってしまうこともあります。そのことを思うとき、親の子のしつけが、いかに重要であるかが理解できます。

2 子は、しつけによって、良い人間に成長する

 「愚かさは子の心につながれている。懲らしめの杖がこれを断ち切る」(聖書箴言(しんげん)22の15)
 「若者をその行く道にふさわしく教育せよ。そうすれば、年老いてもそれから離れない」(同箴言22の6)
 これらの教えをどう解釈するべきでしょうか。

 これらの教えは、子は多くの悪の要素を持って生まれてくること。子を自由放任すれば、社会での共同生活をしていくことは大変困難であることを教えていると考えます。子は正しいしつけによって、社会での生きていくために守るべきルールや、してはならない規則を学んでいくのです。

 このように、しつけとは、子が生きていくために、やるべきことと、やってはいけないことはやらないようにコントロールする力を付けてやることだと言えます。ですから、やるべきことを正しくやったときは心から褒めてやり、やってはいけないことをしたときは優しく教えたり、ある場合はしかったり、罰を与えることも必要でしょう。悪いことをしたとき、親が怒りの感情を持って子どもをおどしたり、このばかものと罵倒し、暴力を加えることは子の虐待になる。もちろん虐待は、暴力だけではなく、育児の放棄、暴言の繰り返し、性的いやがらせ等も虐待に該当します。世の親たちは、子のしつけの美名の下に子を虐待します。どうして、子を虐待しているのかと、問い詰めると、子をしつけているのだと、異口同音に反論します。しかし、虐待としつけを明確に区別する知恵を持つ必要があります。

 子のしつけは、どこまでいっても、子の成長を心から願い、親自身も子どもとともに苦しみ、心は愛の涙でいっぱいになり、子の未来の成長した姿をはっきりとまぶたに刻んでしなければなりません。

 子に対するしつけか、また、虐し続けているのか、どうかと言うことが問題点だと考えます。子が悪い行為をした場合、その子を愛する愛情がないときは、子どものしつけをしてはいけません。なぜならば、そのしつけ行為が、度を超えて子の虐待になりかねないからです。子の虐待行為をしている世の親たちは、子に対する虐待行為をしつけと勘違いしないように、子を愛するとは、どういうことなのか、正しい知識と知恵を持ちたいものです。子を幸せに成長させるためのしつけには、それが必要だと考えます。

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