行雲流水
2013年5月29日(水)22:29
「内職」(行雲流水)
ある時期宮古の高校生の間でも〝内職〟という言葉が広がっていた。授業中教師の目を盗んでする隠し事をさしての言葉だった。教科学習が本業だとすれば学習以外のことを内々に行うのだから内職である
▼ということで生徒たちは当を得て妙があるとの気安さからか好んで使っていたようだ。しかし安易に使用する生徒たちの〝内職〟は本業では十分にまかなえない家計を補うために励む本来の「内職」とは似ても似つかない行為である
▼もちろん当の生徒たちは両者が似て非なることはよくわきまえていた。それでも自身のふまじめな行為を真摯な生業と同一表現で〝内職〟と言いくるめる言葉の逆機能の弊害については認識乏しかった
▼時は下りメディアは不要な造語〝援助交際〟なる言葉をくり返し世間にはびこらせた。援助は持たざる者足らざる者を物心両面で支え人なら成長、国なら発展を期して寄与するいわば善意の発露である。にもかかわらず実態は買春売春でしかない行為をメディアの多くは善意の救援と同義語の「援助」と表現し事もなげに〝援助交際〟と報じている
▼言葉は表現によって伝える内容の実相を清濁いずれにも印象づけるものである。そして人々はメディアが繰り返す用語の概念を丸のみし思考停止に陥ったりする
▼結果は主権在民の民主国家にあってはならない公選の投票率低迷をきたし不本意ながらも権力をただす批判精神の喪失を招いている。メディアを通して情報を巧みに操作すれば国民不在のいかなる権力も生まれかねない危うい昨今である。(知)