行雲流水
2013年7月16日(火)9:00
「極端の不安」(行雲流水)
「極端」には大方無理がある
▼20世紀はじめの世界の人口は約15億人であった。それが今では60億を超えている。100年で約4倍に増えた。状況をこのまま続けることは不可能で、当然人類は今までとは変わった発想で世界を運営せざるを得ない
▼ところが、人の住む自然環境は悪化する一方で、人為的なことでも問題が多い。紛争は絶えることがなく、格差の拡大で貧困層が増え、地球上の半分の人が飢えている。国連大学の統計によると、人類の1%が40%の富を保有し、逆に下から50%の人は1%を保有するに過ぎない
▼具体的な事例をひとつ。プロゴルファーのタイガー・ウッズが帽子をかぶって得るスポンサー料は、1日当たり5万5000㌦。その帽子を作るタイの工場労働者の年収38年分に相当する。労働者たちはタイガーがタイのホテルに滞在中、せめて最低の生活ができる賃金にしてもらえるよう、会社(ナイキ)に頼んでもらえないか、と訴えようとした。でもタイガーは面会を拒絶した(ジェシカ・ウィリアムズ)。世紀の妖怪と言われたヘッジ・ファンドも株価を操作して巨額の利益を手に入れるが、それがその国に与える影響には関心がない。それは倫理の問題ではなく、制度の問題である
▼自然界における遺伝子の変異は長い適者生存の試練を経て定着するが、穀物の遺伝子組み換えは極端に短時間に人為的に行われる。従って、その安全性は検証できていない
▼人類史的な視点で、身近な問題を見つめることが私たちに求められている。(空)