宮古の事業家・下地米一の生涯
2013年11月5日(火)20:43
宮古の事業家・下地米一の生涯(はじめに)
はじめに
2013(平成25)年5月17日、旧平良市(現宮古島市)元市長で大米建設会長の下地米一が大往生を遂げた。享年91。運送業を一代で総合建設会社へと育てあげた実業家時代から二期にわたる市長時代、そして晩年の畜産への挑戦まで、宮古の生活向上と産業振興のために奔走した一生であった。地下ダムの完成、東京直行便の就航、プロ野球キャンプの誘致、公共下水道工事のスタート、伊良部大橋の事業化決定、民放の放送開始、育てる漁業の導入、平良港の整備、マティダ市民劇場の建設、トゥリバー地区コースタルリゾート計画などが矢継ぎ早に実現され、島の環境が急速に向上した下地米一平良市長時代を思い出す人も多いことだろう。
今でこそ宮古島は、全国各地から観光客が集まり、南国フルーツの名産地として知られる存在だ。しかし一昔前までは、本土から10年遅れているのが沖縄本島、その本島からさらに10年遅れているのが宮古島、と言われるような環境にあった。島外との輸送手段は限られ、経済は台風、干ばつに翻弄されるサトウキビの収穫に頼る…。こんな離島苦からの脱出にとどまらず、離島の特性を活かした飛躍の未来像を描き、行動し、島人の夢の実現へと邁進した下地米一の生涯を、7回に分けて振り返る。