結束・団結で豊かな活力/多良間地区
今年村制施行101年を迎え、新しい時代の自治体としてスタートする。村民の結束・団結力による豊かな活力を基盤に国指定の重要無形文化財「八月踊り」の素晴らしさを国内外に発信する。
躍動・優雅な舞/国指定文化財「八月踊り」
笑いを誘う狂言
【多良間村】国指定重要無形文化財の
伝統行事「八月踊り」では、出演者らは華やかな衣装を着飾ったり、地味な衣装をまとったりして出演する。毎年躍動的な踊りや優雅な舞を演じ、会場を埋め尽くした観客を魅了する。
八月踊りは、旧年中の五穀豊穣に感謝し、向こう1年間の豊作を予祝する奉納祭り。呼び物の一つ、組踊りは、演舞・台詞・裏方の歌・三線で披露される総合芸術とされる。笑いを誘う狂言も人気が高い。
字仲筋と字塩川に分かれて繰り広げられる。このうち字仲筋のクライマックスは組踊「忠臣仲宗根豊見親組」。
琉球の16世紀、中山王朝が宮古島の首長、仲宗根豊見親(とぅゆみゃ)に与那国島の首長、鬼虎(おにとら)を征伐させ凱旋するまでの史実を劇化したもの。
仲宗根豊見親とともに参戦し絶世の美女とされる姉妹「オーガマ」「クイガマ」の優雅な立ち振る舞いは、観客の心を捉えて離さない。
八月踊りの本来の名称は「八月御願(うがん)」と伝えられている。毎年王府に年貢を皆納(かいのう、完納)したことから各御嶽で皆納祝いの祭事が行われ、神前で踊りが奉納されたのが始まりとされているが、起源の年代は定かでない。
首里王府が1874年に布達した「多良間公事帳(こうじちょう、くじちょうとも読む)」に「皆納祝い」の記録があり、現代語訳で紹介する。
上納穀の皆納と称して8月ごろ祝いし、そのほか6、7月にも士族・百姓など1人酒5合ずつ準備し、肴は海で働く人が調えて祝儀している。その時に役人たちの詰所(番所・詰宿舎)前の道路でアヤゴ(綾言、歌謡)を歌い、いろいろな芸をしている。役人の首里大屋子(しゅりおおやこ)、与人(よひと、ゆんちゅ)は酒5沸(わかし、1沸は約1升)ずつ贈っており、重々しい出費で良くない。以後は1度祝い、このような出費は必ず止めること。
19世紀の多良間村では、首里王府に年貢を完納した年の旧暦6、7、8月に3度「皆納祝い」をしていた。先島などが毎年年貢を納める期限は6月であった。7、8月は農閑期で、その2カ月の間に百姓は家を新築したり、9月の農作物の種蒔きに向けて準備などをしたりしていた。
当時は倹約・簡素な時代であり、王府はかなりの出費を禁止し、年1度の皆納祝いに改めるよう命じた。皆納祝いが8月に一本化されたと想定すると「八月踊り」と関係があるかもしれない。