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人生雑感
2013年12月28日(土)8:55

人生における逆境は、偉大なる教師である

沖縄国際大学名誉教授 福里盛雄

1 人生における逆境とは

 私たちは、生きていく過程でさまざまな逆境・試練に遭遇します。一度も逆境・試練に遭遇しないで生涯を終える人はいないと思います。身内の者が難病になるとか、夫婦の一方が若くして他界し、残された者は孤独な生活をし、入試の年代になると入試に失敗したり、青春の年頃になると失恋の痛みを体験し、経済力がないために衣食住の苦しみの生活を強いられるとか、生まれた環境が山村のため、近代文明の光の届かない不便な地で生活をさせられるとか、順調にいっていた経営が社会の情勢の変化で倒産し、失職する等の逆境の中に突き落とされる場合もあります。自分の思うようにならない、不幸せな状況は、その人にとっては人生の逆境であると言えます。

 私たちは、自分の人生が逆境に遭遇するとき、前進する気力を失い、生きる希望を失ってしまいます。そして、ついに生きていく自信をなくし、精神的な打撃を受け、自分は生きている価値があるだろうかと自己存在の欲求を否定する考え方を強くします。そして、時には、自殺する危険さえ発生します。しかし、人は逆境の苦しみの中で、希望に燃えて生きる力を修得したり、厳しい自己反省を強いられるチャンスともなります。
 そのように人生の逆境は、人を不幸にする原因になる反面、人の成長にとって偉大なる教師だと言われています。多くの知識人は、逆境は、人を人格者に育てる教育の機能を果たす、と言っています。例えば、貧困と不便さという逆境は無言のうちに腹のすいて動く力がなくなる苦しさに耐え、我慢することと忍耐することの大切さを教えてくれます。

2 人生における逆境は、確かに人の成長の偉大なる教師でもある

 逆境は、人生の艱難(かんなん)であり、その艱難は、その人の品格を築き上げる力ともなります。人は、その艱難によって人間としての生きていく大切な要素を修得していきます。
 私たちは、人生の逆境に遭遇したとき、今まで見えなかったものが見えるようになり、感じなかったことを感ずるようになったりします。例えば、自分が病気になって健康の大切さを感じ、病人の心の弱さに同情するようになり、そしてその痛みを同感することが、容易にできるようになる。
 食べ物の欠乏による苦しみを体験した人は、他人の飢餓に対して、自分の飢餓と同一に考え、救助の手を喜んで差し伸べることが可能となる。
 考えてみますと、人生の逆境、艱難は、無理に拒否することに懸命になる必要はないのではないか、と言うことが肯定できれば、次のような言葉も納得できます。「艱難さえも喜んでいます。それは、艱難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと、知っているからです。この希望は失望に終わることがありません」(聖書)。
 海岸に生えている松の木が均整がとれて美しいのは、強い海風にたたきつけられ、風雪に耐えて成長してきたからだと思います。海風が吹きつけない谷間に生えている松と比較して見ると、その形の美しさは明白です。
 このように、私たちの人生も逆境の中で、鍛えられ、練られて、次第に魅力あふれる品性で彩られていくのではないだろうか。私たちは、逆境を喜んで受け入れるだけの信念を身に付けておくことが大事であると考えます。

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