行雲流水
2014年1月21日(火)8:55
言葉の水脈(行雲流水)
「新年を迎えて、さらに『可惜身命』、よき日々を送りましょう」という年賀状をもらった。「可惜身命」は、「身命は惜しむべし」と読み下して、体や命を大切に、と一応は理解できる。ところが、調べてみると、この言葉にはこのままでは惜しい、もったいないと、対象がそれにふさわしい状態にあることを強く望む意が込められている
▼また、なぜか「可惜身命」は(あたらしんみょう)と和語で読まれる。「可惜(あたら)し」は宮古方言では「可惜(あたら)す」に変化する。例えば、アタラスサド アパラギ(かわいいからこそ美しい)などとなる
▼上代語では「かなし」は「悲し」の意味ではなく、「愛(かな)し」で、かわいい、いとしいの意味であった。宮古方言では、カナシがカナスに変化していて、「カナスーカナス」は、しみじみとかわいい、いとしい、という意味になっている
▼「かげ」は、もともとは光であった。だから、「星影さやかに」は星が明るく清らかであるさまを表す。方言ではカゲがカギに変化し、カギーカギは美しいの意になった。他にも、ナイ(地震)、ツト(土産)、まる(大小便をする)、カザ(におい)など、ここでは古い大和言葉が今も残っている
▼しかも、何気なく、親しみを込めて使われている。地産地消を進める農協の店名は「あたらす市」である。親睦会を「かなす会」と名づけている人たちもいる
▼言葉は悠久の歴史の中で、人々の生活に根ざして、文化を担ってきた。その水脈の一端を「可惜(あたら)」という言葉を入口にのぞいてみた。また楽しからずや、である。